●「日本郵船」が誕生した
明治13年、渋沢栄一は三井物産の益田孝らと協議の上、東京風帆船会社を設立、独占的な三菱汽船に挑戦を開始した。
両社はあらゆる手段を講じて、血みどろの戦いを続けた。それは岩崎弥太郎のいう「独占」主義と栄一が主張する「共栄」主義の戦いでもあった。はじめは、三菱側に圧倒された風帆船会社側は、明治15年に他の二社と合併、共同運輸会社を設立し、さらに激しい戦いを演じた。
その結果、両社の収益は極端に悪化し、共倒れ寸前にまでいってしまった。
そして弥太郎の死から半年後の18年9月、さしもの戦いも終結し、両社の合併により“日本郵船”が誕生するのである。
海運史上に残る大激闘であった。
ちなみに弥太郎は、銀行から金を借りる時、数カ月前からわざと小金を借りた。そして、期限前にきちんと完済した。
するとやがて噂が立ち始めた。
「岩崎弥太郎は、いい加減という噂に反して、なかなか約束に堅いじゃないか。噂というのはいい加減なものだ」
こうやって、なかなか銀行作戦も冴えたものだった。
20年09月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●生まれつき荒々しき人
制度の大改革は行政の変革を誘い、行政の変革は官僚の思考変化をもたらす。
このビッグチャンスを狙い弥太郎は、土佐藩に対して、土地を筆頭に艦船、機械、設備などの払い下げを願い出て成功し、とうとう自分の会社、三菱財閥の原点ともいえる、“三川商会”を設立したのである。
官営(国営)というのは、親方日の丸意識のため、効率が悪いのは昔からの悪弊だ。
官営企業の行き詰まりについては、浅野総一郎が払い下げに成功したセメント工場も同じだった。
とてつもなく大きな資金は、日頃からの“約定返済厳守の借金戦術”がモノを言い、銀行が大金を貸してくれた。
経営戦略ではよく、“着眼大局着手小局”とよく言われるが、これに照らせば、弥太郎の打った対銀行戦略はまさに、“着眼大局着手小局”を彷彿とさせるものだった。
岩崎弥太郎こそ、“稀代なる知恵者”として、その名を残すことになった。
その弥太郎は、1834年(天保5年)、いまの高知県安芸市(安芸郡)で生まれた。
母の美和が、弥太郎のことを評した言葉は次のとおりである。
「生まれし時より夜昼となく泣き立てて、まことに荒々しき人なり」
20年08月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●人を見る眼は鋭かった
岩崎弥太郎という人、一体この人はどんな人物だろうか。
弥太郎は、既に三菱の名をつけていた当時、部下の近藤廉平に懲戒処分を申し渡したことがある。みんなはびっくりした。何しろ優秀な社員だったからである。
その理由が、なんと紙一枚だったからなおのことである。
「会社の社用便箋を休暇届けに利用したのは、社用の紙を私用に供したもので、こうした公私混同は、勤務体制の秩序を乱すもので・・」と、減給の処分にした。
しかし近藤も、人並みの感情を持つ人間。内心、ひどいと思った。しかし、何か理由がありそうだと、近藤は考えた。
それから、幾十日かは経ったある日。弥太郎は近藤と会食の機会を得た。
「近藤、おまえ立派な、一人前の人間になったなあ」と切り出した。
話を聞けば、「最近全社的にたるみが見られる。全体を引き締めるため、きみに犠牲になってもらった。よう辛抱したなあ」というものだった。
そう言われて、「これは辛抱代だ。受け取ってくれ」と言って、金一封をもらった。
なんと、減給分の30倍の金額が封入されていた。
25歳ほどの近藤には、英語の勉強も命じたし、鉱山の事務長にも命じ、ゴタゴタした係争問題も処理させたり、赤字鉱山の黒字化を求めたこともある。
この近藤こそ、日本郵船の3代目の社長になった人物である。
20年07月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●原価はこのように考えよう
原価が低ければ低いほど、利益は確実に手にすることができる。では原価はどう捉えたらいいのだろうか。それでは原価が上昇する原因を考えて見よう。
1、時間がかかる仕事ほど原価は上昇。
2、人が増えるほど原価は上昇。
3、やり直しの多い仕事ほど原価は上昇。
4、距離が長くなればなるほど原価は上昇。
5、仕入れが高くなるほど原価は上昇。
6、手遅れの仕事が多いほど原価は上昇。
7、時間外の仕事が多いほど原価は上昇。
8、販売に時間がかかるほど原価は上昇。
9、水や電気(水道光熱費)を多く使うほど原価は上昇。
10、仕事の手間が増えるほど原価は上昇。
...........................................................
こうして仕事を分解して考えると、原価の落とし方がわかる。
例を示し、考えてみよう。
ある商品出荷作業場のことである。広い板の間が広がっている。ところが出荷関係者に頻繁に電話がかかってくる。出荷事務所は作業場から離れているので、「佐藤さ~ん、電話」と呼ばれると、「は~い、ただいま」と言いつつ小走りに走って行くことになる。
この現場の様子をじっと見ていた場長が、作業場の中央にある柱に着目した。
そして、出荷作業場の呼び出し電話を柱に取りつけた。
それ以来、「佐藤さ~ん、電話」も、「は~い、ただいま」という会話も、現場から消えた。
つまり、遠い距離を往復して駆け回る姿は消えた。
そのぶん出荷作業は効率が上がった。つまり原価が低減した。
............................................................
●旅館も距離が生命線
もう一つ例を示す。旅館のことである。
その旅館は、離れの間が多く、料理を運ぶのも大変な労働である。
しかしこれに注目する者はいない。それでいて利益は少ない。(原価が高い)
そこで経営者は、調理場の移設を実行した。
するとどうだろう、今までは、「熱い汁物」も長い距離を運ぶので、すっかり冷え切ってしまっていた。冷たい物は生温かくなっていた。これが「熱い物は熱いうちに」、「冷たい物は冷たいうちに」、召し上がってもらうことが可能になった。従業員の人数も減り、客も満足である。
こうやって、旅館は倒産の危機を回避できた。
しかし当事者になると、「なぜこんなことに気付かないんだろう」ということが多過ぎる。
理由は、「全員が作業に夢中になっている」からで、じっと現場を見ている人がいなかった。
管理者・経営者の仕事とは、汗を流すことではなく、知恵を出すことである。
20年06月01日 | Category: profile
Posted by: mao
20年05月01日

偉人達の処世訓

●「何よりの敵は失望と落胆」・井上貞治郎(ダンボール開発者、聨合紙器の社長)
私は高等小学校の2年生を終えただけで世の中へ飛び出した。今の小学校6年生である。
「野中の一本杉」として世に出たのである。
大学を出ても、まず小僧っ子になって、何でもやっていく気概が欲しい。人生は努力である。突進である。時には少し向こう水であってもよろしい。そして、全てのもの、全ての仕事に親切を尽くすことが、世の中を渡る最高の道徳と心得ねばならぬ。
私は誰にでも、人生の敵は「失望」と「落胆」と答えている。
しかし、「失望」を「希望」に、「落胆」を「奮起」に、立て直すのが、唯一の戦法であって、加えて長期戦の覚悟が必要である。

●「たわむれの世」・福沢諭吉(慶應義塾創立者)
鋭敏なる才子よりも、根気強き勉強家こそ、頼もしき世の中なり。
正直一遍は必ずしも美徳と言うべきにあらず。シャチホコ立ちは芸にあらず。
児戯百端、たわむれ去り、たわむれ来たる。ただそのたわむれの過度を制することこそ、智者のことなり。
自由平等とは、自らの権利を重んずると共に、他者の権利をも重んずるにあり。
いやしくも、人にして技量を試みる機会あらんには、これを空しゅうせずして功名を表すべし。遠慮は損慮。ただし、爪の小出しを心がくべし。
人事万端、表ありて裏なきものなし。裏に回らずとも、裏面あるを忘るべからず。
人生「そうはいかん」ことばかり。また「そうは言っても」、困ることばかり。
福沢は、「馬鹿正直は決していいことではない」と言っている。死人を出した家人の前では葬式の話はせず。自分のことは語らず相手のことを語ること。
人を褒めるときは、真面目に真剣に褒める。しかし、何よりも褒めようと思うこと。
また、「人事は裏があるもの」と言う。たとえ、裏がなくとも裏面はあるとも言う。
20年05月01日 | Category: profile
Posted by: mao
ページ移動 前へ 1,2,3,4,5, ... ,37,38 次へ Page 4 of 38
新規顧客開拓 FAXのdm faxdm