千葉県船橋市の税理士・公認会計士-元橋会計事務所
税理士・公認会計士 元橋茂夫
千葉県船橋市の税理士・公認会計士
千葉県船橋市にある元橋会計事務所の仕事は
あなたの夢のお手伝い。願いは、あなたの繁栄です
TEL:047-425-1199
FAX:047-425-1144
http://www.shigyoblog.com/mao/:14
Nucleus CMS v3.41
2021-10-01T01:00:00Z
mao
2021-10-01T01:00:00Z
2021-10-01T10:00:00+09:00
名前:元橋茂夫
url:http://www.mao-kaikei.com
E-mail:junsan23@tkcnf.or.jp
士業種:税理士・公認会計士
所属団体:
住所:千葉県船橋市本町2-10-14 船橋サウスビル7階
Tel:047-495-8300
Fax:047-495-8400
■事務所紹介
設 立: 1986年(S61) 元橋公認会計士事務所 開業
現在は法人化し、税理士法人元橋会計事務所とし現在に至る
所 員 数: 50名 (平成30年9月現在)
■所長プロフィール
1981年(S56年)8月 公認会計士登録
1985年(S60年)8月 税理士登録
趣 味: 食べること、飲むこと、仕事すること
※当事務所では税理士業務の他、財務に関する様々なコンサルティング業務を
行っております。詳しい業務内容については弊社ホームページ(上に記載)をご覧ください。 ]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:29
mao
2021-09-30T23:00:00Z
2021-10-01T08:00:00+09:00
今後の発行がどういう形で再開できるか未定ですが、発行出来る時は臨時号等としてお届けできたらと思います。
非常に心苦しいのですが、ご理解していただけたらと思います。
長い間のご愛読、ありがとうございました。
令和3年10月1日 所長]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:63081
mao
2021-09-30T23:00:00Z
2021-10-01T08:00:00+09:00
するとやがて社長は来てくれた。けれども社長は会うなり質問に次ぐ質問である。勿論、経営に関することである。先生には、顧問料を払っているから、時間が勿体ない。質問も顧問料のうちと心得てください、という調子である。
しかし、イヤ味がない。カラッとしている。
気が合うとはこのことか。二人は名実ともに意気投合した。
会社に着くと、幹部会議のため既に幹部一同集めてある、という具合だ。
私の話を聞くために、3時間の予定を組んであるのである。
社員数は約300人。中部電力の外線工事を主体の電気工事会社である。
この社長は、極秘ですがといって、「中部電力の仕事は、社内シェア50%を切るまでになり、他の分野にシェアを増やさねば、百年は生きられません」と言う。
下請け脱皮の予言である。
この社長の言葉は逐次実行に移され、ついに中部電力のシェアが40%台を切り、それでも全社の売上は上昇していった。では他の新規の売上高は何か? 火葬場の設備関係であった。
加えて感心なのは売上高上昇率を上回る、利益率上昇を達成しているのである。
よく、儲けたければ他人のやらないことをやれ!と言われるが、この法則を実践した社長である。葬炉の無臭化研究が効を奏したのだ。
今度は帰京する私を、駅まで送ってくれるという。
「しかし、新幹線の定刻には時間が早過ぎますよ」と社長。
「心配ご無用。ちゃんと原稿執筆に時間を割り振りしてありますから」と返事。
「いやあ、参った参ったあ。時間は先生も貴重でしたね」と社長は言われたそうである。]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:63080
mao
2021-08-31T23:00:00Z
2021-09-01T08:00:00+09:00
タピオカ、とっくにご存じですネ。一世を風靡せんばかりに流行した、飲み物の一種です。(ミルクティにタピオカを混ぜたもの)
このタピオカは、キャッサバという植物の根茎から製造したデンプンのことです。
さて、このタピオカの日本での需要は、タピオカ・ドリンクの一大流行です。
いま一世を風靡せんばかりと言いましたが、通信販売、タピオカをレシピとした調理教室、タピオカ・ドリンクの飲みくらべ教室などと、タピオカを素材にした商品は、増えるばかりだった。
女学生たちが、並んでいたタピオカ専門のドリンク店も、急速に行列が消えた。
何のことはない、ブームは去ったのだ。
原宿の竹下通りには雲霞(うんか)の如く人が集まっていたのに、今ではタピオカと共に、潮が引くように人は去っていった。(コロナのせいもある)
●本物の需要は流行が終わってから
じつは今回のような流行性の強い商品の場合、商材として適正に欠けるのである。
歴史は繰り返すもので、かつては、「水」もそうだった。「水もタダではない」と言われた時代に、猫も杓子も「水」を商材に選んだのである。そして残ったのは、元々強い企業だけが生き残ったのだ。
今回も、元々強い企業もタピオカを商材に選んだ。たとえばリプトンとか、井村屋なども参入している。こういう大手は、思いつきではなく長期戦略で参入しているから、そう簡単には潰れない。しかし、「これは 売れるぞ!」という、賭ける思いから参入した者の多くは、持ちこたえられずに潰れてしまう。
流行とは、そういうものである。
弱い企業は、ちょっとした需要の減退でも打撃に弱い。これは大手の狙うところである。
弱い企業を大手が買収して大きくなっていく。それと同じである。
歴史は繰り返す。流行も繰り返す。本当の需要はブームが去った後にやって来ます。
小さな資金で、流行に挑むのは、冒険が過ぎます。
]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:63077
mao
2021-07-31T23:00:00Z
2021-08-01T08:00:00+09:00
1、労をいとわず、ただ誠意一つである。 心をこめた自然のありのままが良い。
2、返事は即座に。 適切に、機会を逃さず当意即妙に。
3、巧遅の文より、拙速の文を。 拙速より巧速の文を。
4、名文よりも達意の文、達意の文よりも誠意の文を。
5、長文よりも簡潔に、ただの簡潔よりは簡密に。
6、怒って書くことなかれ。 笑って書けば笑われる。
7、候文か口語文かは、相手と事柄次第で分かれる。
(今日候文ほとんど用いられない)
8、用語は平易を第一とし、清新第二、風趣第三のこと。
9、文字は敬慎を第一とし、才気は第二、妙趣は第三。
10、書式や礼法を知らぬは恥、知って守らぬは愚かである。
●「厄難突破」・雨宮敬次郎(明治時代の実業家)
いわゆる人生行路というものは、日和続きとは限らぬ。雨の降る日もあれば、風の吹く日もある。いちいち、天気の悪いのをかこっていては始まらない。世の中がこちらの思いどおりに運んでいたら何も言うことはないが、あまり面白味もなくなってしまう。
人生の味わいというものは、天気のいい日もあれば、悪い日もあるという具合で、その凹凸にあるもの。
というわけで、だれでも一生に一度や二度は、必ず大厄難に襲われるものと覚悟するがいい。ことに大事業をやろう、大金持ちになろうと志した場合、何度でもこの大厄難を乗り越えて見せるぞという覚悟が必要だ。
ある人が若い頃不治の病と言われた、肺病にかかったが、持ち前の根性で、「何クソ!」という覚悟でいたら、肺病まで私の体から去っていった。
(注記)
雨宮敬次郎は、甲斐国山梨郡牛奥村(現在の塩山)生まれである、軽井沢に「雨宮新田」という地名があるが彼の名から取ったものだ。現在の「日本製粉」という会社も彼が興したものだ。現在の「江の電」社長に就任するなど、事業の幅を広げた。
炭火ひとつで、人間を見分けるなど、大きな着眼と細かな神経の人だった。
人が訪ねてくると、「客が火鉢の火を灰で囲むようにして帰ると、見所のある人間」として評価していた。大人物として後世に名を残した。
]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:63076
mao
2021-06-30T23:00:00Z
2021-07-01T08:00:00+09:00
いまから20年ほど前だが、「TQC」という言葉が、全国的に各企業を襲った。
QCは品質管理の意だが、これにT(トータル)を加えて、全社的な品質管理の意味で、とにかく、どんな物にも品質はある。営業ならば“営業の品質”、生産ならば“作る物の品質”がある。経理や財務なら“経理や財務にも品質”がある、というわけである。
「おたくはTQCやってますか」というセリフが、挨拶がわりになった時代がある。特に第一線で活躍する従業員を主役にすることから、「TQCサークル活動」をさしていた。
A社の社長の息子が、このTQCに惚れて、生産部門のTQCサークル活動に燃えたことがある。しかし、半年やった結果は次の社長の言葉に要約されていた。
「何やら得体の知れないTQCサークル活動で、確かに時間は早くなったと思うが、浮いた時間の使い道を考えていなかった。結局は休憩時間を増やしただけだった」
やはり社長は、本質をよく見ていたものだ。
ある観光バスの会社の話である。
銀行に融資を申し込みに伺ったところが、こんな条件をつけられた。
「いまTQCサークル活動が盛んだって。おたくでもやったらどうですか。そうだ、TQCサークル活動を融資の条件にしましょう・・」
こんなわけで、なんとTQCを融資の条件にされたことさえある。笑い話のようだが実際にそんなこともあった。おかしくて変なTQCである。
●大流行病に犯されるな
かと思うと、「異業種交流の会」という変なものもある。
あるコンサルタントが、顧問先の会社が岡山にあり訪ねた時のことである。駅に迎えに来ていたのは社長。そして、「今から異業種交流の会に行きます」と言う。
一緒に行くことになった。加わってみての感想だが、「何の役にも立たない」と言った。
というのは、「新製品情報が手に入る」というものだったが、誰が秘密にしたい新製品の情報を部外者に話すものか。案の定、取るに足りない話ばかりである。
これは当時の通産省の誰かが、言い出したようだ。
とにかく日本では、「これは生産性の向上に役に立つぞ」という声が上がると、まるで乗り遅れしないように、猫も杓子も、それっとやり始めるのである。
一種の「大流行病」である。当時のトヨタの下請けがやると、「トヨタ式なんとか」と本に書いた者さえ現れるのである。おかしな国日本である。]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:63071
mao
2021-05-31T23:00:00Z
2021-06-01T08:00:00+09:00
「生きる幸福 老いる幸福」という本だが、この本の中で「私の生き甲斐は仕事である」と書いてあり、そしてこうも書いてあるという。
「私の知っている人に、まだ60歳には間のある人が、死んだので押し入れを開けたら、経帷子(きょうかたびら)をはじめ、死に装束一切に、棺にぐるりと巻く晒しの布まで揃えて置いてあった。
感心な人だと褒める人もいたけど、私はそうは思わなかった。死ぬ用意をしていても、死にたいと思っていたわけでもあるまい。最後の瞬間まで、生きる気力を失くさなかった、というほうが好きである。死ぬことなど、予想しないことが健康の要諦ではあるまいか」
こんなふうだから、「貴方の生き甲斐は?」と尋ねられると、「仕事と和服をデザインすることです」と答えるそうだ。年は95歳にしてである。
95歳で仕事が趣味と言える人は、男でもそういないはず。いま男の仕事も、分業化と専門化が進み、その上分業化は細分化を伴い、いくら頑張っても、「おれは自動車を作って〇十年も過ごした。だからこの経験を生かして自動車を作っているんだよ」と言える人はいないと思う。
会社でいくら車を作っても、その経験をもとに「95歳になって、車作りが私の趣味だ」とは言える人はいない。
いや、95歳で現役という人がいた。聖路加国際病院理事長の日野原重明先生(故人)がいらした。
こんな例外は別にして、95歳で現役はなかなか見つからない。]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:63067
mao
2021-04-30T23:00:00Z
2021-05-01T08:00:00+09:00
現在の埼玉県深谷市で1840年に生まれ、1931年に没するまで活躍した財界人。
この人をモデルにしたテレビが、既に始まっている。
かつて植村甲午郎というフジテレビや日本航空などの会長を務めた人がいた。この植村さんが現役で活躍していた頃、こう語っていたことがある。
「私が渋沢さんを、偉大だと思うのは、渋沢さんが大蔵省在任わずか三年の間に、税法、貨幣制度、金融制度などの法案を作りあげているということです。」
つまりこういう基本から、渋沢は勉強していたことである。
仕事をする上での基本は、四つであった。
第一の基本。 「信用を第一とすべし」
論語読みの論語知らずというが、渋沢は「論語と算盤」を自ら書き下ろしている。文武両道に秀でていたということだ。その結果、商人は世間の信用を得ることが第一であるという。
第二の基本。 「利益は共有すべし」
現在の株主に当たる人に、会社が儲かったら配当を支払っているが、これが基本になっている。その仕組みを考えたのである。
第三の基本。 「国際交流すべし」
国際的な交流は、現在では当り前だが当時は飛躍した考えとして捉えられていた、しかし渋沢のお陰で、関東大震災では、海国から多くの支援が届いている。
第四の基本。 「弱者を助けよ」
社会福祉事業に力を注いだ。当時から先見の眼で事業を考えた。
●会社の設立に積極的だった
渋沢が考えた田園都市は、現在では東急に引き継がれている。たとえば道路を放射状に巡らすなどである。1918年に会社設立に関与している。
広島水力電気、現在の中国電力は、1897年に設立されたが、これにも参画している。
東京製鋼は、1887年に設立。これにも参画している。
第一国立銀行(現みずほ銀行)は、1873年に設立。これにも参画している。
帝国ホテルは、外国からの賓客が増えるので、1890年に設立参画している。
製紙業(現王子ホールディングス)は、1873年に設立参画している。
富岡製糸場は、メイドインジャパンの世界への輸出の拠点として設立参画。
輸送では、JR東日本の設立に設立参画している。
渋沢栄一が生涯に関係した営利事業は500余りと言われ、非営利的な公共事業が600余りとも言われている。
明治10年には、日本商法会議所を創立し、初代会頭となる。これが現在の商工会議所に受け継がれている。多くの財界人を育てて、17年間もトップの座の責任を果たした。]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:63066
mao
2021-03-31T23:00:00Z
2021-04-01T08:00:00+09:00
感染症とはいっても病原体として、細菌かウイルスかに因って、二つに大別される。
細菌とは生物でありますが、ウイルスは生物とは言いきれないところがあります。
細菌とは、三つの要素を満たしている。細胞を持つ。栄養を吸収し自らエネルギーを生産している。細胞分裂を繰り返し生存・増資も行っている。
一方ウイルスとは、次のようなものである。
細胞がない。栄養を吸収したり生産したりしない。エネルギーを作らないから自分で動けない。ウイルス単体は自力で増殖できない。
ではウイルスを病原体とする疾病には、どんなものがあるのだろうか。
◆風邪 ◆インフルエンザ ◆水疱瘡(みずぼうそう) ◆おたふくかぜ ◆麻疹(はしか)◆風疹 ◆ウイルス性肝炎(A型、B型、C型) ◆デング熱 ◆エボラ出血熱等がある。
一方、細菌性の感染症としては、どんな病気があるだろうか。
◆百日咳 ◆梅毒 ◆結核 ◆コレラ ◆ジフテリア ◆マイコプラズマ肺炎 ◆赤痢 ◆溶連菌感染症 ◆O157 などの腸管出血性大腸菌感染症等。
専門的なことは別にして、同じ感染症としても、病原体としては、ウイルス型と細菌型とがある、という程度は知っておくがいい。
●ウイルスとはどんな動きをするのか
ウイスルの中には、宿主の体内に長期間免疫を逃れて、病気を起こさず感染し続けるものもいる。たとえば水疱瘡を起こすウイルスは、細胞の中に潜んで活動を休止しているが、宿主が過労のときなど、再活動化して激しい痛みを伴う帯状疱疹を引き起こす。
ウイルスの攻撃が、免疫の働きを上回りもし宿主が死んでしまうと、ウイルスは増えることができなくなる。もしウイルスが他の宿主に感染できなければ、ウイルスもお仕舞である。
宿主を殺さず、宿主と共存するウイルスのほうが、長期間存在する可能性が高い。
こうしてみると、ウイルスは魂を持つ生き物かと思えるほど、ズル賢い動きをする。
だからこそ、ウイルスの勉強をして、治療法を考えなければならない。
医師、製薬会社、ともにがんばって欲しい。
]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:63064
mao
2021-02-28T23:00:00Z
2021-03-01T08:00:00+09:00
小林一三は三井銀行大阪支店の貸付課員だった頃、銀行に客が来ると、よく先に立って履物を揃えたものだ。銀行員は大体腰の低い商売だが、貸付係でそこまでする人間は少ない。それを小林一三は、預金係であろうと貸付係であろうが、態度を変えることはイヤだった。
あるとき、桑名(いまの三重県)の素封家で、知られた諸戸清六が銀行へ来て、いざ帰ろうとする際、小林一三はいつものように下駄を揃え丁寧にお辞儀をすると、諸戸は改めてしげしげとこちらを頭のてっぺんから足の先まで見渡して、「あんたは感心な方だ。今に必ず出世なさるに違いない。きっと世の中に出て偉くなる人だ」とほめちぎった。
どうもこれは当たらなかったが、当時三井銀行の連中はひどく威張って、何事にもお高くとまっていたのだから、それで目立ったのだろう。]]>
http://www.shigyoblog.com/mao/:14:63061