●備長炭のストレート販売に、ストップをかけた木炭問屋
 現代の“問屋機能”を考えるとき、ある木炭(紀州備長炭)問屋の例が、わかりやすい。
 木炭というのは、戦中から戦後にかけて、“木炭バス“としても、語り継がれているように、バスの動力源にも使われたものである。しかし時代のエネルギー需要は、石炭から石油にとって替わるにつれて家庭にも電化の時代が訪れると、家庭からは火鉢や七輪も姿を消し、木炭需要に冬の時代が訪れたものである。
 しかし世の中は水の流れのように、どんどん変わる。
 “やきとり”や、“うなぎ”の蒲焼の世界にも、こぞって便利な電熱ヒーターを利用するようになったが、競争の世界では必ず、知恵者がいるものだ。
 その結果、木炭焼きの評価を見直す業者も出てきた。一部の先進的な業者は、火持ちのいい“備長炭”を使いはじめ、“当店は備長炭で焼いています”ということを、キャッチフレーズにするようになった。とはいえ、まだまだ限られた料亭やホテルの和食部門だけだった。
 木炭の販売業者は需要の減退で、全国からどんどん消えていった。
 ところが東京の墨田区で、木炭の問屋を営んでいたSさんは、こういう木炭需要の変化を見逃さなかった。もちろん、「備長炭を業者に売り込むぞ!」と、自分に誓った。
 「しかし待てよ。競争相手の業者は多い。ストレートに高価な備長炭を売り込んでも、競争相手が値段を下げて安く売り込めば、それで客はライバルに流れ、第一巻の終わりだ。
 肝心なのは品質競争力の持続だ。そのためには、この私から買ったほうが有利だと、業者が思うことが肝心だ。そのためには、どうすればいいか?ここは試案のしどころだ・・」
●試案の末に考案した、高級看板の提供
 現在、街の“うなぎ屋”や“やきとり店”の店頭に、こんな看板を見かけた人は多いはず。
 「紀州備長炭使用店」という看板だ。高級な物になると、表札に使うような高級素材に「かまぼこ彫り」で刻んだ物まである。何万円もする物もある。
 この看板を最初に、無償で“うなぎ屋”や“やきとり店”に提供したのが、いま紹介したSさん。備長炭を売り込むという発想より前に、“得意先繁盛の仕組み”を提供したのである。
 この“看板提供”で、多くの集客に成功した店の噂は、どんどん広がり、Sさんへの紀州備長炭注文は増えるばかりで、うなぎ上りで高級木炭の売上記録を手にしたのである。
 得意先に、その得意先の繁盛システムを提供する。その得意先が繁盛することで、Sさんの売上も比例して上昇気流に乗ったのである。まさに“得意先とともに伸びる”である。
 しかし現実には、「備長炭を売り込むぞ!」と一直線に売り込む問屋が多い中で、Sさんは知恵の厚さを感じさせる、“得意先とともに伸びる”道を選択したのである。
 多少余談になるが、“備長炭”の由来は、紀州(和歌山県)の備長屋長左衛門という人名からとったものだ。だから同じ備長炭でも、〈紀州備長炭〉というのが正統派というところだ。最近は豊後備長炭、土佐備長炭、岩手備長炭などの木炭もある。
 これも時流なのか、中国産備長炭というものまで売っている。
 なお紀州備長炭の特性は、熱が肉の芯までよく通る遠赤外線にある。木材は樫の木、特に姥目樫(うばめがし)が本流とされている。
 現在は、Sさんに右へならえの売り方が増えたが、先駆者であるSさんは現在も、〈紀州備長炭〉しか扱わない。正統派は衰えを知らないようだ。
11年02月01日 | Category: profile
Posted by: mao
ルネッサンス期のイタリアで、大活躍した戦略家ニョコロ・マキャヴェリが、書いた本が(邦訳)「君主論」や「政略論」である。非常痛烈だが、指摘は的確で現実的なものが多い。
“まるで現代日本を書いているよう”と思われる文章が多いから、抜き書きで紹介してみる。
●『一国のリーダーにとって、特に警戒しなければならないことは、軽蔑されたり、見くびられることだ。一般に決断力に欠けると、国民の間にもこの軽蔑心が芽生える』
 自民党のある議員による総理への国会質問では、「カンさん」を連発していた。ときどき、特に噛み締めるように、「菅総理大臣」と呼んでいたが、皮肉にしか聞こえない。
 どうしても総理が、“舐められている”としか、感じられなかった。
●脆弱な国家は、いつも優柔不断である。その上、決断に手間どることは、有害以外の何ものでもない。
 尖閣諸島沖の海上保安庁巡視船への、中国漁船による意図的な、当て逃げ事件のビデオの公開に伴うモタモタと、ネット流出などは、このマキャヴェリの指摘を絵に描いたようだ。
●人間というものは、恩義という絆で結ばれていても、大きな利害がからめば、平然と断ち切ってしまうものである。
 ロシア(メドベージェフ)を見るがいい。北方四島という利害がからめば、平気で実質支配を進めるではないか。恩義なんて無きがごとしである。
●譲歩に譲歩を重ねて、相手が満足することはない。それどころか、なおさら足元を見透かされ、相手はなお、より多くを奪ってやれ!と考えるようになる。
 国会で質問に立った議員がずばり、マキャヴェリのこの言葉を持ち出し、政権の対中国への言動を指摘していた。その上で、「マキャヴェリ程度は、勉強しなさい」と言っていた。
●一国のリーダーたるもの、術策など弄せず公明正大に行動することがいいことは、百も承知している。承知の上で、正面攻略力を生かすと同時に、野獣の策(裏ワザ)を講ずることも重要で有益であることも、必要であることを知っておくべきだ。
 「漁船衝突事件は刑事事件だから、ビデオという証拠を、事件の処理の途中で公開することはできなかった」と、官房長官が言っていた。この発言は、“狐と狸の化かしあい”という、国際社会の駆け引きを知らない人の発言である。
●一国の指導者は、一人であるべきである。指揮権が複数の人間に分散していることほど、有害無益なことはない。
 どこかのお坊ちゃんが、「トロイカ体制(三頭立ての馬車)で、力を合わせよう」と言ったら、言われたほうも共感していたが、両者とも、まるで馬鹿みたい。
 一国を治めるトップに関して、トロイカなんで、タワごとに過ぎない。
●重臣や側近から、優柔不断と思われたリーダーは、その地位が危うい。
 いままさに、そんな政権の色を濃くしているのではないでしょうか?
●決断力のないリーダーは、中立に逃避し、やがて滅びる。
 現政権の現状が、そっくりである。ああ、民主党政権も短命か?(最終的な総合判断は各自でどうぞ)

11年01月05日 | Category: profile
Posted by: mao
◆雑誌社には隠し手があります
 よく経済・経営の月刊誌に、トップ営業マンが特集で紹介される。年に2、3回はあるようだ。なぜ何回も特集するのか。そのほうが雑誌が売れるからである。
 経営者は、「うちの連中とはどう違うか」と好奇心が働くし、管理者は部下の教育資料に買う者も少なくない。営業マンは、「自分とはどう違うか」と思って買う。
 しかし多くの読者は、雑誌社の隠し手や、隠れた実態には気付いていない。

 1、実際にページを開くと、営業マンが所属する会社は、中堅規模以上か有名企業が多い。
(会社の一括購入を狙っての編集。また、有名企業が読者の目をひくから)
 2、トップ営業マンがいる会社の営業成績が、業界でトップとは限らない。むしろ平均以下の場合も少なくない。ここまで考える読者は非常に少ない。

 トップ営業マンとして紹介された会社の中には、「なんだ、あのゴマスリ野郎が、トップなんだよ。あいつがトップなら、うちは全員トップじゃないか・・」という会社もある。
 例えば、かつてT自動車のU営業所(埼玉県)に、のちにメーカーの、営業部門の殿堂入りを果たした営業マンSくんがいた。訪問セールスが主流の頃である。
 だから先に紹介したような特集に、彼を外すわけにはいかなかった。何しろ名実ともに日本一の販売王だったから。彼は、「毎日1台を売る!」と宣言し実際に、年間365台以上を10年間売り続けたのである。
 しかし、会社の売上高は、なんと平均以下であった。現在もたいして変わりはない。

◆有名トップがいることと、会社の業績は別ものです
 先に紹介したT自動車U営業所の場合、彼が忙し過ぎると販売に支障が出るという理由で、トップのSくんには専属の女性秘書が2人つけられた。もちろん社長の配慮である。
 しかしこれが、仲間には徹底して不評だった。(当時は、客の車庫証明取りや、印鑑証明取りなどの雑用は、営業マン付随雑用だったから、売れば売るほど忙しくなった)
 「修理工場長に鼻ぐすり効かせ、他の営業マンの客の車を後回しにして、修理や点検を優先するSくんのワガママを、社長は見て見ぬふり。それに会議に遅刻しても、彼はお咎めなし・・」
 というわけでSくんが、いくら頑張って売っても、会社全体としては、“一将功なり万骨枯る”のような意識の沈滞した組織になり、会社成績としては底辺を這っていた。
 以上は具体例の一つだが、個人としてのトップがいることと、会社としてもトップか、という問題は別ものなのである。
 雑誌の特集に載った会社が、みんなそうとは言えないが、一般には、特定のトップ営業マンに肩入れし過ぎる会社には、組織力としては問題の多い会社が少なくない。
 以上のことを考えた上で、トップ営業マン特集の雑誌も読まないと、解釈ミスをするだろう。
 Sくんは講演会などで、「僕は修理工場にも、差し入れしたりして配慮する」と語ると、聞き手には絵になっても、身内にとっては、単なるワガママだったのである。
 うま過ぎる話には、ホンマ、ウラがあるもんですね!
10年12月02日 | Category: profile
Posted by: mao
 「こんな好感の持てる会社もあったのか」と、とても共感し感心した会社がありました。
 ある会社に電話をしたのです。
 しかし担当のWくんは留守。休暇中というのです。のんびりした用件でもなかったので、困っていました。
 すると今度は、その会社から電話。用件はつぎのとおりでした。
 「お電話ありがとうございました。私はWと同じ職場の○○と申します。○○さまからのご用件のメモを拝見しました。
 じつはWは、明後日まで休暇中ですが、たぶん私でもご用件を処理できると思いますので、かわりにお電話差し上げました。」
 この○○さんが言うように、用件は無事に済みました。
このように、「だれだれは留守ですが、よろしければ私が・・」という、ピンチヒッターの役を買って出る組織は、滅多にありません。
 たとえWくんの机上に置くメモを書き取った人も、そのメモを見た人の多くも「これは自分の仕事じゃない」といって、見たまま通過してしまうものです。
 しかしこの例のように、代役電話やピンチヒッター電話が、ごく自然と発信される組織。こんな組織こそ、“全社営業体制”ができている会社ではないでしょうか。
10年11月01日 | Category: profile
Posted by: mao
 いま、ダンボールの便利さや貴重さを、感じない人はいない。
 これを考案した人は、井上貞次郎氏(レンゴーの創業者)である。
 この井上が先頭に立ち、仲間二人とダンボールの考案を続けていたが、失敗に次ぐ失敗で、とうとう仲間二人は井上に見切りをつけ去ったののである。金がないのはわかっていたから、仲間の一人は、「お前が着ているどてらを脱げ」といって、一張羅のどてらさえ持ち去ったというから、ひどいどん底暮らしだったことがわかる。しかし仲間が去った直後井上は、現在の品質レベルに近いダンボールの考案に成功した。ときに、明治42年のことである。
 失敗といえば、本田宗一郎も松下幸之助も似たような経験を経た。
 松下の場合、自信をもって作った二股ソケットが売れず、協力を続けてきた仲間も、「これじゃ食えないから」といって去った。
 「とうとう身内だけになりました」と、当時を語った松下だ。
 本田宗一郎は本業に躓き、合成酒や塩を作って糊口をしのいだ時期もある。「99の失敗の果てに、1の成功が残った」という本田のセリフは、こういう経験から出た言葉である。
 失敗と成功は相反するものではなく、成功するためには避けて通れない、険山らしい。「失敗は成功のもと」ともいう。
10年10月07日 | Category: profile
Posted by: mao
ページ移動 前へ 1,2, ... ,26,27,28, ... ,37,38 次へ Page 27 of 38
新規顧客開拓 FAXのdm faxdm