◆「ちっとも変ってないね」
 同期生会などの場で、互いに懐かしい学生時代を語らい、「おまえ、昔とちっと変ってないね」などというセリフの交歓は、これまた嬉しいものだ。
 しかしそうではなくて、「5、6年ぶりだけど、以前とちっとも変りませんね」
 こう言われたら別れてから、じっと自身のことを考えるがいい。
というのは現代は、川の流れにたとえれば、過去に例のない激流の環境だからだ。
 ビジネス・モデルの変化も激しいから、現在の書店では、ビジネス・ハウツー本は、なかなか売れない。売れても第1刷で姿を消す。この現象も、出版不況に追い打ちをかけている。
 という具合に、時流の変化が激しいときに、「以前と変わりませんね・・」などと言われたら、「ちっとも進化してませんね・・」と言われたと解釈し、ドキリとするがいい。

◆変化を怠ると失うものも大きい
 鉄のカーテンを身の回りに張り巡らすかのようにして、激しく変化する環境の中で、インターネットにも背を向け、昔の成功体験に固執し、口は達者でも聞く耳は退化の一途をたどる。まさに“昔とちっとも変らない人”もいる。
 たとえば全国各地に、俗にいうシャッター商店街がある。環境に翻弄された点も否定はできないが、シャッターを降ろすしかなかった商店街経営者自身にも、環境の変化の中で、みずからの変化を拒絶していたのではないか。
 たとえば家庭用品を手広く扱う規模の大きな店があった。
 この経営者の語った言葉。
 「わたしはネ、自分が気にいった物しか仕入れません(売りません)・・」
 好き嫌いの激しい性格だったせいか、「店は顧客のためにこそ存在する」という考え方には程遠く、「店はおれのものだ」という考え方に、がんじがらめに縛られていた人だった。
 変えてはならないもの、変えなければならないもの。この峻別が大切だ。
 お互いに、「あんた、変わったネ・・」という、前向きの言葉をかけられたいものです。
10年04月05日 | Category: profile
Posted by: mao
◆態度が変わらない人は、何も変えられない
外国のある宗派の教えに、こんな言葉がある。
「心が変われば 態度が変わる
 態度が変われば 行動が変わる
 行動が変われば 習慣が変わる
 習慣が変われば 運命が変わる
 運命が変われば 人生が変わる」
宗派に関係なく、自己を客観視するのに、じつにいい心の養分になると思っている。
私はあと1行を勝手につけ足している。
「心が変わらない(変えられない)人は、何も変わらない(変えられない)」

ある会社の幹部の一人が、その会社を辞めて独立した。
追い風に吹かれて、毎年売上を伸ばしていった。
従業員も増え、社長!社長!と呼ばれ、この幹部はすっかり社長業に馴れ過ぎてしった
やがてゴルフもやるようになった。前の会社時代から、目をかけていた部下も呼び寄せ、専務に据えた。すると社長はふだんの日でも、留守が多くなった。
会社はこの専務に任せ、毎日のようにゴルフ三昧。
この社長の会社は、いま経営危機の真っ只中にある。
それでもこの社長は、過去のよき時代の経営手法を変えようとはしない。いや、過去のよき時代の体験に縛られ、変えられないでいる。まさに自縄自縛そのものである。

◆“不易流行”とカメレオン型の経営者
この言葉はもともと芭蕉の俳諧用語である。
不易とは、変わらないこと。どんなに時代は移ろえど、変わらぬもの変えてはならぬものもある。しかし同時に、変わるもの、変えるべきものがある。これが、“不易流行”である。
しかしここでは、“流行”の実践に的を絞ってみたい。
上に紹介した社長は過去の体験に執着していたが、このタイプの人は、“しがみつき”で共通している。いまの業界から飛び出して、新天地を求めるべきなのに、それがやれない。
“自分が乗っているのは、どっちみち沈む泥舟”という自覚がないのだ。
ところがある酒店の経営者は、「このまま泥舟に乗っていてもダメだ」と決意した。そして考えた。「菓子を作ろう(外注)」と思った。作っても売れなければ製品倒れになる。
そこで考えたのが豆菓子である。ただの豆菓子じゃない。では何が違うのか。
ネーミングが違うのである。なんと「ゴリラの鼻くそ」。
「このまま酒にしがみついていては、自滅するだけだ。「豆を使った甘納豆なら素人の自分にも作れるのではないか?」。こう自分に言い聞かせ、黒大豆を原料に挑戦したのである。
そして、『ゴリラの鼻くそ』のネーミングで売り出したら、多くの動物園にはゴリラがいる。そういう動物園が、一斉に“おみやげ”として扱いはじめた。東京の上野動物園でも売っている。あの旭山動物園でも、愛知県のモンキーセンターでも売っている。
累計で300~400万袋が売れたという情報もある。(一袋500円)
この酒店の経営者こそ、カメレオンそのままに、環境適応型の発想に自分を変え、成功した人と言えよう。環境不適応のしがみつきは、わが身を滅ぼすだけである。
10年03月01日 | Category: profile
Posted by: mao
◆ユニチャームの創業者、高原慶一郎さんは、「私のない人間は伸びません」という考え方をする人だそうである。
 以下は、何人かの部課長にした質問。
 A.「きょう私が会議で述べた意見、きみはどう思う?」
 B.「私が10日ほど前に会社に送った提案書、きみはどう思う?」
 C.「今度私が企画して、会社に提案している研修方式の変更、きみはどう思う?」

 すると“私のない人”の返事や回答は、大体こんなものである。
 a.「参加者にも、いろんな人がいますから一概に、いいとか悪いとか言えませんから…」
 b.「組織で働いているものですから、ぼくが個人の意見として言うことは、そのお…」
 c.「研修は人事課が担当していますから、その人事課の問題に対して、個人的な意見は…」

 お読みになってわかることは、とにかく煮え切らない、メリハリのない返事ばかり。
 こういう人は、“私は……と思う”という主体性を表す言葉を絶対に使わない。
 こういう人たち、つまり“私のない人”というのは、どうやら、「自分の責任でも問われたら、とても困る」という考え方が、骨の芯まで染み込んだ人のようだ。

◆ミサワホームの創業者、三沢千代冶さんの考え方と、いま紹介した高原さんの言葉には重なるものがある。つまり似たようなことを、二人とも部課長に対して考えていらっしゃる。

 三沢さんはよく、「何をやりたいかより、何をやるべきかを考えろ」と語っていた。
 一方高原さんは、「やりたいことを探すより、やるべきことに没頭せよ」とおっしゃる。
 言葉の真意は、共通するようだ。

 ある社員が、勤務先の社長と専務を乗せ、車を運転していた。
 「しかし各社各様に勘定科目が違うし、財務諸表を集めても、全体の集約がしにくいですなぁ…」ということを語り合い、何かいい方法はないものか、と二人が話し合っている。

 その社員は、業界団体の会長職にあった社長が、加盟全社の経営数値の集計に困っていることを知った。
 約1ヵ月後、「東京○○○協力会各社の、勘定科目統一試案」という案を専務に提出した。
 しかし長期間、何のレスポンスもないから、「余計なことじゃ…」と、叱られるか、無視されたのかと思っていたら、ある日社長に呼ばれ、こんな指示を受けた。
「今年の東京○○○協力会の総会は、鬼怒川の○○ホテルで開催するが、きみも参加してきみ自身から、あの統一試案を説明してくれ。いちばんわかっている人間が説明したほうがいいだろう…」
 その社員は後日、最年少の総務部長になった。その時思った。「何も言わなかった社長だが、“何をやるべきか”という人間を求めていたんだなぁ!」と。
10年02月01日 | Category: profile
Posted by: mao
10年01月06日

■今週の噛む話

◆定年のあと、早々に呆ける人はどんな人?
 定年のあと、2,3年で呆けた人がいる。5年後ともなると、少なくないようだ。いちばん早かったのは、あるメーカーを常務で定年になった人で、半年後には呆けに見舞われたそうだ。
 では一般に、どんな人がなりやすいのか、「呆けやすい人10ヵ条」が下のとおりである。
1. 生真面目で冗談を語ることは皆無に近い
2. 上司に従順で何事もハイハイと従う
3. 部下を叱ったり注意することはない
4. 会議では反対意見を唱えることはない
5. 既成の組織秩序に波風が立つのを嫌う
6. 橋下・東国原的な型破り人間を嫌う
7. 大きな声を出すことは滅多にない
8. 映画・芝居・ミュージカルに関心なし
9. 人脈の開拓意欲は弱く、受け身一辺倒
10. 創造的というより伝統と習慣を維持
 これらの10ヵ条が、そっくり当てはまる人はいないと思うが、6ヵ条以上も該当するようなら、その危険性は、ぐ~んと高くなるらしい。
 以上を概観して想像できるのは、こういう人は決まって“好奇心”が乏しいということだ。好奇心が乏しければ、ワクワクする感動心も乏しいもの。呆けても仕方ない。

◆好奇心の旺盛な人は、呆けないに違いない
 ある役員が最近、定年になった。拾ってくれるところもなく、ましてや嘱託延長もなし。この人も、はや定年1年になる。上表の8割方が該当する人だ。
 定年になるということは、「おはよう」といって朝から会話を交わす相手がいなくなることである。たっぷりと、あり余る時間をもて余す毎日を迎えることである。ということは、「いつまでに何を仕上げなくちゃ」というタイムリミットはないのだ。こういう毎日を送ることは、「考える」「解決策を研究する」「問題を分析する」「新しい企画を練る」というような頭脳作業に、縁がなくなることである。これは呆け症状の出ないほうが不思議であって、「使わざるものは退化する」という世界にズブズブと足を沈めるようになって当然である。
 しかし最近一人だけ、非常に珍しく、呆けには無縁と思われる70歳の青年に出会った。
地方のホテルで午後10時頃、「もう寝よう」と言う私を、「いい女のいる店でもっと飲もう」と誘った。こんな人は生涯現役に違いない。

10年01月06日 | Category: profile
Posted by: mao
―クルリと脳の向きを変えれば、そこは繁栄の世界―
◆“利は元にあり”を実践するヒルベン社長
 池袋で、350円の弁当(ヒルベン)を売る店がある。その売れ方は、並みの売ではない。発売時刻の前から行列ができ、アッという間に売れてしまう。
 うまい上に量も文句なし。そして何より安い。500円でも安い、と言いながら、“ヒルベン350“ の山は、たちまち消えてなくなる。どうして、こんなに安くできるのか?
 汗だくで陣頭に立つ社長は、“何も秘訣はないが”と言いながら語る。
「うちはねえ。まず仕入れが真っ先なんだ。多くの弁当屋さんは、“まず何を作ろう  いうメニューづくりから始めるんじゃない?しかしうちは、何よりも先に市場に飛ぶ。
 そして、安い食材を仕入れるんだ。野菜類なんか、一日一日相場が大きく変わるねえ。
 こうやって仕入れた食材を前にして、そこでメニューを考えるんだ。
 メニューから考えたんじゃ、安い食材の仕入れはムリだろう。
 ほら、昔から“利は元にあり”と言うじゃないか・・」
 雑駁(ざっぱく)なような親方の言葉だが、斬新な考え方や着眼点が煮詰まっている。
           ☆         ☆         ☆
 成長とか繁栄という、前進経営から見放されたような経営者の多くに共通するのは、販売には力を入れるが、仕入れとか原価管理に力を入れることを忘れているようだ。
 前方にはカッと目を見開くが、後ろにはまるで神経を注ごうとしない。
 そういう見方、考え方に気付くことは、発想の転換につながる。
09年12月01日 | Category: profile
Posted by: mao
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