アメリカの詩人、サミエル・ウルマンの「青春」という詩は、多くの経営者に、生きる勇気や、若々しい心の持ちようについて、前向きな刺激を与えたものとして有名である。
 今回はその詩を紹介します。
 「青年とは、年の若さを指すのではない。精神の溌刺さをいうのである。青年とは、豊かな頬、赤い唇、柔らかい肢体をいうのではなく、意志の力、創造力、感激性を指すのである。年を重ねるだけで、だれもが老いていくのではない。理性を失い、自信をなくしたときのみ人は老いる。年齢は皮膚にしわを寄せるが、情熱を失うと、その人の魂にしわが寄る。つねに明るい希望を持ち、勇気りんりん、未来の夢に挑戦する人、生命の歓喜を神に感謝する人であれば、50歳であろうと70歳であろうと、その人は青年である。春たけなわの新鮮さこそ、魂の本当の姿である」
09年01月05日 | Category: profile
Posted by: mao
◆他人の目で自店を見れば、得るものは大きい
 チーク材専門の家具店があった。来客数の少ない(赤字経営)店である。
 南洋材のチーク材というのは、国産材のケヤキ材やナラ材と違って、木目の美しさは楽しめない。その上色が黒っぽい。堅い木ではあるが、椅子でもテーブルでも、全体が黒っぽいのだ。
 だから、店内に商品を増やせば増やすほど、店内の色彩印象は、暗くなるばかり。
 特別な照明で、売り場演出でもしない限り、多くの来客は、「この店、なんとなく薄暗い店・・」と感じるから、なかなか客が財布のヒモをゆるめない。
 しかし当事者の社長さんは、この自覚がまったくない。自分を客観視できていないのだ。
 もう一ついえば、よく電話に出る女性店員も問題だ。
 その声は、じつに陰鬱なのだ。チーク材に似て声まで暗い。暗い声は、客を遠くに押しやっても、財布のヒモをゆるめる客にするのは、至難のワザ。
 この社長さんはなぜ、この程度の問題にも気付かないのか。「相手が何を自分に求めているか」という感覚は大事にしなければいけない。「同業他店を見て、いいことは取り込もう」と思うことは必要である。

◆商売繁盛の、合い言葉は何か
 すでに海外にまで出店した業種に、1000円でカットできる理髪店がある。
 この業種を考案した開発者は、「各地の多くの理髪店に、客として出かけました」という。
 出かけた店では、徹底して客を観察したそうだ。待たされてイライラしている客を多く見て、「待たせない店を作ろう」と思ったという。電気ヒゲ剃り機の性能が高くなり、「床屋でヒゲ剃りを省いても、価格が安くなれば客は歓迎する」とも、思ったという。
 こうやって、“1000円カット”は完全に顧客ニーズをつかんだ。
 ところで全国の床屋さんで、同業の店に出かけて髪をカットした人がいるだろうか。
 その上で、「このやり方は、なかなかいい。自分の店にも取り込もう」と思った人がいるだろうか。あるいは、「気がきかない床屋だな、と思ったが、よく考えると自分の店でも同じことをやっていた。うちでも考え直さないといけない」と思った人がいるだろうか。
 商売をやっていて、いちばんツマラナイ感覚は、“インサイド感覚”である。
 自分は外に出ないで、中から一方的に外を見るだけの、一方通行感覚だ。
 先に紹介した家具店でも、通行人の感覚で外から店を見れば「この店は暗い!」と気付いて当たり前だが、物を見る感覚が“インサイド感覚”だから、自分の店の売上障害になっている問題点も見えないでいる。「他人の目で自社を見る」は、商売繁盛の合い言葉なのだ。
08年12月01日 | Category: profile
Posted by: mao
 “成績考課制度”では、“考課(評価)項目”だけは、いつでも自由閲覧できるように、必ず公開したほうがよい。ある会社の場合を紹介します。
 たとえば、取引先などから、「おタクの女子社員の電話応対は、すばらしい」という声が舞い込む。事務職の女子社員の“考課項目”は、つぎの4項目である。
 1、事務処理の正確さ・・・ミスのない処理で、トラブルのない事務能力があるか。
 2、事務処理のスピード・・・テキパキとした、迅速な事務処理能力はあるか。
 3、電話応対力・・・相手に好感を与えるような、明るい的確な応対をしているか。
 4、接遇マナー・・・社外の方はすべてお客さま、という気持ちを込めて接しているか。
 以上の4項目を公開している。何のトラブルもない。それどころか公開により、彼女たちに自己啓発目標や努力目標を明示するわけであり、みずから進んで勉強もする。
 ところが有名な大企業でも、こういう公開をしている会社は非常に少ない。
 いうまでもなく考課項目は、仕事の種類や性格(職種)により異なる。
 従業員をホンモノの人材にしたいのなら、ぜひ“考課項目”の公開をする方向で制度化をするのがいい。制度全体を隠すのは、人事に無知な人間のやることである。
 ただ、人を評価するのは難しい。人が人に点数をつけるのは不可能に近いと思っている。
 でも、しなければなりません。皆さん、ガンバって下さい。
08年11月04日 | Category: profile
Posted by: mao
 当時、京都の清水寺の貫主(かんしゅ)は、大西良慶さんだった。
 当時とは、良慶さんが100歳の頃のことだ。
 その日良慶さんは、アメリカの偉大な作家、パールバック女史の来訪を受けた。「大地」の著者だ。
 そこで女史は、良慶さんに尋ねた。
 「今までで、いちばん愉快だったのは、何歳の頃でしたか?」
 すかさず良慶さんは、答えたという。
 「そりゃ何といいましても、60−70代が、いちばん人生の華でしたよ・・」
 ちょうど自分がその歳にあたる女史は、終日ご機嫌だったそうだ。
 しかしじつは良慶さんは、女史の来訪を受ける前に、女史の年齢を確認していたという。
 会話の内容ひとつをとっても、相手の気をそらさない、会話と接遇の達人ではないか。いや、人生の達人というべきか。
 ひるがえって現代の大学生。
 お茶の水女子大学で、藤原正彦教授のゼミ学生でありながら、多くの学生が、「新田次郎」も「藤原てい」も知らないそうだ。
 前者は、「八甲田山死の彷徨」や「孤高の人」の著者であり、後者は、「流れる星は生きている」の著者である。しかも、藤原教授のご両親でもあるのだ。
 勉強といえば、“自己啓発”という論語の一説がある。その真意はこうである。
 「じっとしてわしの話を聞くだけで、みずから進んで、師の教えを盗みとるほどの熱意のない人間に、わたしは教える気力はないワ」
 こういって孔子が、弟子を諭した言葉が、自己啓発なのだ。
 昔、予習と復習は、自己啓発の第一歩だった。いまはもう死語なのか。(藤原正彦・「国家の品格」の著者)
 ※大西良慶・1983年3月死去、107歳
08年10月01日 | Category: profile
Posted by: mao
08年09月01日

■ちょっといい話

 あの古賀政男さんのことを紹介します。1978年73歳で没。
 生家は貧しかったそうです。明大の苦学生だった頃金がなくて、愛用のギターを質に入れようと思ったこともあったという。
 その苦境を知ったお母さんが、5円85銭送ってくれた。
 「母と姉が懸命に働いて送ってくれた金だった」
 やがて古賀さんは、ヒットメーカーへと驀進し始める。
 手始めの大ヒットが、『酒は涙か』であった。
 初めての大金が、印税として古賀さんに支払われた。
 その印税から古賀さんはお母さんに仕送りをした。その金額は?
 なんと、『585円』であった。苦しいときお母さんが送ってくれた金額の、ちょうど100倍であった。
 「お母さんが送ってくれたお金で、こんな仕事ができました・・」
 古賀さんの真情と感謝の念を、この100倍の金額の中に、ギューッと閉じ込めた、古賀さんらしい謝恩の表現である。
 気持ちのこもった、いい話である。
08年09月01日 | Category: profile
Posted by: mao
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