昔の日産は、技術屋さんが威張っていた。会社のキャッチフレーズも、長い間、「技術の日産」だった。技術が勝負ポイントであることは、わざわざ言うまでもないこと。
 デザイン部門や販売部門は、技術屋さんより下だった。
 そこに登場したのが、日産の過去にシガラミのない、あのカルロス・ゴーンさん。
 このカルロスさんが来てから、技術屋さんと肩を並べて、デザイン部門などのスタッフ部門の人たちも、モノが言える体制になった。多くの人がご存知である。
 ところが会社によっては、技術系が上位意識に浸り、「技術のわからん者が、何を言うか」という社風の組織があるとすれば、いずれこんな組織はじり貧から、緩慢なる崩壊へと向かう。
 なぜなら、技術屋さんだけの集団意識が生まれるモノづくり発想は、「自分たちの技術で作れる物を作る」という意識に収斂されることが多い。本当は、「市場が求める物を作ろう」と考えるべきなのに。
 たとえ新製品を開発しても、身内だけの自己満足型商品になり、販売部門も「よし、これなら、どんどん売ってやろうじゃないか!」と、勇躍する物は生み出せないものだ。
 好況という春の季節だろうが、不況という厳冬の季節だろうが、環境にお構いなしに技術屋さんが上にいる組織。こんな組織の将来は、ほんとうに危ない。
 その上こんな組織が、○○商店型の企業だとすれば、(過去の不二家は藤井商店、過去のダイエーは中内商店だった)、組織が地獄の淵に沈みはじめるまで、自浄作用が働かない。
 交替不能のトップは、「だから、頭脳と発想の転換が欠かせない」と考える必要がある。