当時、京都の清水寺の貫主(かんしゅ)は、大西良慶さんだった。
 当時とは、良慶さんが100歳の頃のことだ。
 その日良慶さんは、アメリカの偉大な作家、パールバック女史の来訪を受けた。「大地」の著者だ。
 そこで女史は、良慶さんに尋ねた。
 「今までで、いちばん愉快だったのは、何歳の頃でしたか?」
 すかさず良慶さんは、答えたという。
 「そりゃ何といいましても、60−70代が、いちばん人生の華でしたよ・・」
 ちょうど自分がその歳にあたる女史は、終日ご機嫌だったそうだ。
 しかしじつは良慶さんは、女史の来訪を受ける前に、女史の年齢を確認していたという。
 会話の内容ひとつをとっても、相手の気をそらさない、会話と接遇の達人ではないか。いや、人生の達人というべきか。
 ひるがえって現代の大学生。
 お茶の水女子大学で、藤原正彦教授のゼミ学生でありながら、多くの学生が、「新田次郎」も「藤原てい」も知らないそうだ。
 前者は、「八甲田山死の彷徨」や「孤高の人」の著者であり、後者は、「流れる星は生きている」の著者である。しかも、藤原教授のご両親でもあるのだ。
 勉強といえば、“自己啓発”という論語の一説がある。その真意はこうである。
 「じっとしてわしの話を聞くだけで、みずから進んで、師の教えを盗みとるほどの熱意のない人間に、わたしは教える気力はないワ」
 こういって孔子が、弟子を諭した言葉が、自己啓発なのだ。
 昔、予習と復習は、自己啓発の第一歩だった。いまはもう死語なのか。(藤原正彦・「国家の品格」の著者)
 ※大西良慶・1983年3月死去、107歳