「日本的雇用」が崩れた、というよりも歪に変形した現今経営下。現象としては、長期雇用による労使関係の安定から短期間契約への移行。それにより雇用行政は職業能力訓練にテコ入れを行う。しかし、会社が求める人材は「豊富な経験保持者」であることには変わりないことから、結局アルバイト経験も含めて色々な仕事をしてきた者がベストということになる。「社会の達人」といえばよいか。(まだ偏見は残るようにもみえるが。)
雇用契約の方針変更を余儀なくさせたものは、営業損益であれ営業外損益であれの負債超過もしくはそのおそれがあるというものである。会社もまた営業譲渡や事業分割など再生や清算についての検討事項から離れることも難しくなりかつての長期展望が夢のようになりつつある。
これらの現象により、「日本的雇用」に代り台頭してきたものが眠らされていた司法である。従前は、法違反は平気になされており、法律遵守はただ外部向けのパフォーマンスでしかなかった。労務面でも然り、経理面でも然り。それぐらい強力な体制であった。しかしながら、地位を保証してくれていた会社から肩叩きされ、お世話になりましたと出ていく同僚を見ながら、明日はわが身としながらも、永年勤続者でない者の順番になってみると腑に落ちなくなるわけである。再生もしくは清算手続きの過程においては、粉飾や簿外負債など当たり前に出てくるとやはり腑に落ちなくなるわけである。そういうことを日常的に業務として行えた日本的経営とは何かと考える次第である。
さて、だいぶ省くとして、現在は労働相談者の質が高くなっている。法律をはじめとして、判例による見解などボタンを押せばすぐ回答が出てくるような具合である。ただ、紛争実務まで回答する能力はまだ身につけていない者が一般的なため、あともう一歩というところである。尤もそれはもう相談の域ではないが、国民の法的精神はそこにこそ根付くものなのである。

それはそれとして、社内の労務管理もいったん日本的雇用から離れるべきであると考える。その肝は懲戒処分にある。
何かあれば「クビ」という習慣は、口癖のようでもあり、また実際標準的な就業規則に記載されている数種の検討なしに、懲戒権の濫用が当たり前でもある。この現象については、日本社会に根付きすぎており、司法も就労請求権を認められずにある。解雇無効とバックペイの支払までは判定できるが、将来事項についての権利は立てられないという理屈をどこかで読んだ記憶もある。いずれにせよ、現下において法構成として存在しない。

さて、懲戒処分は私的制裁であり、単純にはリンチと同視され法秩序に反するものであるが、組織秩序保持という必要性が認められ違法でないものとされている。ただし、その処罰する権利付与の要件として、刑事手続きの例に従うものとされている。したがって、あらかじめそれを知らないでした懲戒処分のたいていは違法なものとして無効とされるのがオチである。手続きミスとはそういう結果をもたらすので慎重さが必要である。よほど健全な一般常識によって行われた場合は別であるが-。
以上のような理由により、『犯罪と刑罰』(ベッカリーア・岩波文庫)を読み進めることにする。当時の事情などは除くので、法政治思想史としては扱わない。