(フリーのライターである者が、ある雑誌社の企画で取材をしている際に、交通事故により死亡した。遺族が雑誌社に対して労災の補償を要求してきた。)

こうした例の多くは労働者性を否定するものと思われるが、契約意識のあいまいな状態もまた多く、したがって具体的な当事者のやり取りによっては労働者とされることもありうる。
・その雑誌社の企画であるから、そのことによってのある程度の制限を受けるわけであるが、制限内容が服務的なものや企画外の内容にまで及んでいないかどうか。その上で、独立性が確保されているかどうか。
・報酬の決め方が仕事に応じたものかどうか。

こうした観点でみていけば、このケースでの答えはそれほど難しくはない。しかし、例えば、労働時間法制のかからない「企画裁量型」労働による雇用契約のケースはどうか。あるいは店長職など上位から権限を委譲されている者などについての判断はどうか。
基本の大枠は当然ながら労働者としての制限を受ける者であるから判断はさほど難しくないにもかかわらず、会社によってはフリーのような設定をしているため、トラブルの際はなかなか当事者間で話が合うようにするのが一苦労になる。なお、これは下請問題と同じ構造的なものである。