[14 未遂・共犯・共犯密告者に対する刑罰免除について]

ベッカリーアが悩んだテーマという。

《法律はたんなる意思を罰することはできないが、だからといって、ある犯罪を犯す意志の表示である実行の着手があった場合、これは刑罰に値するとみなければならない。ただしこの刑はその犯罪の既遂のばあいより軽くなければならない。
この刑罰が必要なのは、犯罪はそれがたとえ着手のほんの第一歩の段階であっても予防しなければならないからである。》

《共犯についても同様で、共犯者のうちでも直接の実行者とそうでない者との間には刑に差別をつけなければならない。
数人の人間が結託して共通の危険をおかそうとするとき、その危険が大きければ大きいだけ、彼らは危険を平等に分担しようとするものだ。だからもし法律が共犯者のうち実行者をより重く罰することを規定すれば、実行者にとってはおかす危険が大きいことになり、犯罪をたくらんだ者たちの間ですすんで実行者となる者が出にくくなる。》

労基法には罰則があり、違反の実行者としては上司や人事責任者が該当することが多いが、社長はなることが少ないようである。刑罰適用に「忖度」とか無言の要請の要素が入る余地はほぼ無い。管理責任は民事の概念である。なお、両罰として実行犯と別に法人罰も課されるが、あくまでも法人なので懲役はない。パワハラ構造と同じで、関係性からいって実行犯よりも取締役の方が捕捉されるべきであるが、そうはならずまた刑事判断は疑わしきは罰せず原則である。労働刑法の検討を求む。

《いくつかの裁判所は大罪の被告で共犯者を告げた者には刑罰免除の恩恵を与えている。これは方便だが、危険がともなうことはさけられない。危険というのは、こうすることによって、社会は、犯罪者たちの間でさえいみきらわれている裏切りを、法律によって許容することになり、裏切りはひきょうな犯罪を生むからである。これはエネルギーと勇気にもとずく犯罪よりずっと有害である。》
《犯罪を探知する手段として不罰を用いる裁判所は、そのたよりなさをみずから示している。また法律は、法律を犯すその同じ犯罪人の助けをかりることによって、その弱みをさらけだすことになる。》
《他方、共犯者を告げる犯人に対して不罰の希望を与えることは、だいそれた犯罪を未然に防ぐことになり、また大犯罪が犯されながら犯人があがらないのを見てつねに不安におののく民衆の心を安めさせるゆえんにもなる。
この方法はまた、法律すなわち社会契約をやぶる者は、個人間の契約をたやすくやぶるのだということを示してくれる。》

ここでベッカリーアは悩む。
《民衆の信頼の保証であり、人類道徳の基礎である神聖な法律は、詐欺を誘導したり、裏切りを合法化することはできない。》と。

ベッカリーアは不罰を与えると同時に、追放令を与えるべきと譲歩するも、やはり神聖な法律を汚したものとして考える。

懲戒処分においては未遂と既判とで相当な罰を与えることは可能である。密告についての取扱いを定めている会社は知らない。情報提供や秩序違反行為等を止める義務についての規定を設けているところはある。裏切りによるリークはそれまでの状況や改悛や関与の程度から相当な罰に止めるのは可能である。