=================
        マツモトキヨシ創業者 松本 清氏
        応用人間、やりくり上手、大衆反応型
        =================

  東国原知事はタレントである知名度を宮崎のPRに役立てようと、
  色々なキャラクターグッズを作り、精力的に宣伝活動を行っているそうです。
  民間から出てきたなら、それまでの経験を生かして
  官僚や政治家では絶対出来ないことをやってこそ、
  「やっぱりこの人に投票して良かった」
  と思ってもらえるのではないでしょうか。

 ▲ ほら吹き上手は商売上手?
 
 こんなことを言っては、大目玉かもしれませんが、
 商売上手になるには、ほら吹き上手になることが一番だと思っています。
 
 事業を始めたての時のように、信用も無く、資金力も無いときに
 そのままの姿で商売をしていては、競争相手に勝てるはずがありません。
 そこで、無いものを、さもあるかのように、
 「ほらを吹く」テクニックが、商売を左右するのではないでしょうか。
 
 嘘をついて騙すことは、良いはずがありません。
 ほらを吹くというのは、人を騙すことではなく、
 そのときは嘘であっても、きちんと約束はやり遂げることです。
 
 嘘がばれても、笑って済ませられるようであれば、
 それは、大ぼら吹きで済むかもしれません、
 しかし、ほらを吹いたことを、実行できなければ
 それは、嘘になってしまいます。
 
 「ほら」と「嘘」のさじ加減は、非常に微妙で、
 このバランスをきちんと採ることを覚えておかないと
 「粉飾」「風説の流布」などのように、
 取り返しのつかないことになってしまいます。
 
 ▲ 貧しさから生まれてくるもの
 
 「貧乏」「貧困」「貧弱」「貧相」…
 貧(まずしい)という言葉に続くことばは、
 「お金」や「容姿」に関することが多いですね。
 
 昔は、収入が無くて、食事もろくに採れなく、
 みすぼらしくなることが、貧しいことでした。
 これまでご紹介してきたように、
 そのような状況から、カリスマ経営者は、発明を生み出し、
 工夫を凝らして大きな事業を成し遂げています。
 
 彼らにとって、工夫することは、
 幼少のときから常に行ってきたことで、
 無意識にしてきたことかもしれません。
 このように身体に染み付いた感覚こそが、
 後の成功の原動力になっているのではないでしょうか。
 
 無いものは「無い」時代に、
 貧しくなったのは「発想」や「心」になってきています。
 「貧乏」で「貧弱」であった青年が、
 稀なる発想で、工夫を凝らし世間を驚かせ続けました。
 
 「マツキヨ」ことマツモトキヨシの創業者、松本 清氏、
 その才覚は、商売だけに収まることなく、
 政治の世界へ受け継がれていきました。
 
 ▲ やりくり上手
 
 清氏は、薬の免許をとるため猛勉強中でした。
 薬局で丁稚奉公しているとき、
 薬について勉強する時間が無くて困っていた。
 新しく配達の当番が回ってきたとき、時間を早く切り上げて、
 その空いた時間を勉強にまわすことを思いつく。
 
 薬局の無い町に開店すれば儲かるはずと、北小金の駅前に店舗を構えるが、
 なかなか客足は伸びない。
 来店してきたお客に話を持ちかけ、長居してもらい
 繁盛しているように見せかけた。
 また、薬を買ったお客から空き箱を譲ってもらい、
 空き箱をショーケースに並べ、品揃えが少ないのをカバーしたのです。
 
 普段は扱っていない、高級化粧品や輸入品も、
 「今、商品を切らしているので、1、2日待ってください」
 と、あるふりをして注文を受ける。
 そして、知り合いの薬局へ自転車を飛ばして買いに行くのでした。
 
 従業員に使い込みをされて、会社が倒産しかけになった時、
 清氏はその存亡の危機を乗り切るため、ビル建設を持ち出す。
 地元の有力者の力添えで、農家から事業拡大のための資金として借りてくる。
 そのお金は、返済日より必ず1日早く返すようにする。
 そうすることが、信用を生み、
 2回目の借金がしやすくなると思ったからです。
 
 この、「ほら吹き」と「やりくり上手」が、
 千葉県松戸市で「すぐやる課」を作った
 松本市長を誕生させるのでした。


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07年05月24日 | Category: General
Posted by: ekomon
        ===============
         セコム創業者  飯田 亮氏
        独創型、困難突破人、社会還元派
        ===============

    セコムが遠隔監システムを開始して40年を超える、
    その利用者は100件を突破しているという。
    治安に対する不安からくるのか、ここ最近増えているらしい。
    「ロボット警備」なるものも登場して、
    SFさながら「○○警備隊」が登場するのも、
    夢ではない時代がやってくる。

 ▲ 「独創的発想」が実を結ぶ喜び
 
  飯田氏が警備業を日本で最初にはじめたのが62年のこと。
 世の中では会社の警備は自前でするのがあたりまえ、
 社員の宿直や警備社員で盗難に備えていました。
 
 「電話帳に載っていないような商売はダメだ」と父親に勘当されてまでも、
 はじめた警備業でありましたが、その結果は泣かず飛ばず、
 初年度の契約はたった一件だけでした。
 未知なことには困難なこともたくさん、そのかわり最初の者でしか
 味わえないチャンスもたくさん巡ってくるのです。
 
 警備会社を設立しようにも元手に困っていたところ、
 案内の手紙を送ったヨーロッパの警備業の団体の会長から、
 運よく出資を受けられ、開業にこぎつけることが出来たのです。
 
 開業2年目には、意外にも東京オリンピックの選手村を警備する話が
 持ち込まれました。
 ピーク時には100人近い社員を派遣し、マスコミにも取り上げられ
 イメージアップに繋がったのです。
 
 なんといっても知名度が上がったのは、テレビドラマのモデルとして
 取り上げられたことでした。
 そのドラマの名前は「ザ・ガードマン」、番組は7年近く続いた番組となり
 「ガードマン」という職業も認められるようになったのです。
 
 ▲ “ヒジョーシキ”なビジネス
 
 日本で初めての警備会社、電話回線を使った遠隔監視システムの導入、
 第二電電(現在のKDDI)の設立に参画、医療事業へ進出。
 飯田氏は常に未知なものに挑戦しています。
 
 当然の事ながら、全てがうまくいくはずも無く、失敗することもあります。
 日本は様々な分野で規制が働いていて、その規制が緩和されるまで
 時期を待たないといけないこともあります。
 
 「世間でまかり通っている慣習とか常識とかには、
 ずいぶん不合理なものが多い」
 また、常識を疑って考えることも大切です。
 彼は顧客との契約方法で、今までの商売には無い前金制を採用したのです。
 また、遠隔監視システムでは警備機器を販売せず
 レンタルすることに決めました。
 
 事業を起こすとき、周りがどんなに有望だといっても、否定して疑ってみる。
 世の中は儲けられることより、損することが多いのです。
 新規事業がどれだけ損に耐えられるか計算できていれば、後は安全なのです。


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07年05月17日 | Category: General
Posted by: ekomon
       =================
       日本マクドナルド創業者 藤田 田氏
        かた破り型、こなす系、一徹人間
       =================

    皆さんは、「ファースト・フード」にどのような
    「味」を期待されておられるでしょうか。
    色々な制約が多い中で、他と違った「味」を印象づけるには
    考え尽くされた「仕掛け」が必要なのです。
 
 ▲ 「味」の感じ方
 
 日本でハンバーガーといえば、故藤田 田氏の日本マクドナルド。
 アメリカ本国では、ジャンクフードの象徴とまでされている
 ハンバーガーを、流行の最先端のファッションにまで仕立てて、
 日本に上陸させたのは、その人です。
 
 京都・藤井大丸百貨店への出店は関西第1号店になりますが。
 当時の私も、その流行に乗り遅れずと、いそいそと出かけて行った
 一人でありました。
 
 日本1号店を、東京銀座の三越百貨店一階に、
 月曜の休館日を挟んで、39時間で開店したことは、
 あまりにも有名な話です。
 
 アメリカでは、郊外に出店しているマクドナルドを、
 なぜ、日本では都心の一等地で展開することに決めたのか。
 それは、外食として一足先に日本へ上陸した、
 ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の失敗を
 目の当たりにしたからです。
 
 KFCは、アメリカのノウハウをそのまま採用して、
 郊外へ出店しましたが、名古屋の第1号店だけでなく、
 2号店、3号店とも不振続きでした。
 日本人の郊外志向は、まだまだ時期が早すぎたのでした。
 
 ▲ ファースト・フードのこだわり
 
 アメリカ流のマニュアルを何もかも取り入れて、
 一般的に無機質と捉えられる、外食チェーンですが、
 それぞれのこだわりは、やはり味にあるといえます。
 
 マクドナルド、創設者のレイ・クロックが、
 マクドナルドのハンバーガーを全米に広げることができたことの一つが、
 フライドポテトへのこだわりです。
 
 肉の味で、他のハンバーガーと違いを出すのはとても難しいけれど、
 フライドポテトの味の差別化はつけやすい。
 その答えが「揚げて3分たった、ポテトは理屈抜きに捨てる」ことでした。
 
 KFCの場合は、鶏の味を守るため、海外からの冷凍を嫌い、
 高い国産の鶏を使い続けるため、餌にハープを混ぜて育てて、
 ハーブ鶏を開発しました。
 また、K・サンダース伝来の味付け方法を、
 ずっと守り続けているのも日本だけです。
 
 何時でも、何処でも、「自分たちの味」の商品を提供することが、
 ファースト・フードの「味」のこだわりといえます。
 そのためには「自分たちの味」を守るための、
 徹底した「仕掛け」作りが必要なのです。
 
 パンの厚さから中の気泡の大きさまで、
 強いては厨房のレイアウトから接客方法まで考えつくすことが、
 味を守ることにつながります。


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07年05月10日 | Category: General
Posted by: ekomon
 
       ===============
        任天堂前社長  山内 溥氏
       探究系、アイデアマン、采配型
       ===============

    Wiiは1400万台、ニンテンドーDSの累計販売は
    4000万台に到達する勢いで、
    今期は創業以来の連結売上1兆円を超える見通しです。
    「利息だけで社員の給与が払える」といわれるほどの優良企業、
    金額は社員一人当たり2000万円を超えます。
    それは、アイデアを形にする執念が実を結んだ結果なのです。
 
 ▲ 「閃き」は形にするまでが大変
 
 今は世界的なファミコン、ゲーム機メーカーとなった任天堂。
 その創業は花札から始まったことをご存知でしょうか。
 任天堂は明治時代半ば、京都で一人の職人が花札をつくり、
 販売したことから始まりました。
 
 それから現在に至るまで、一貫して「ゲーム」というものに
 焦点をあわせて歩んできましたが、
 その道のりは決して平坦ではありませんでした。
 数々のヒット商品を生み出しながら、その次にやってく失敗の数々。
 「運を天に任せる」、正に社名を地でいく状態が続いたのです。
 
 その道のり…
 ○花札の普及を土台にして、トランプカードへ事業拡大し、
  日本一のカードメーカーとなる。
 ×脱カードを目指し、ホテル経営、タクシー会社、
  インスタント食品に手を出すが、ことごとく失敗。
 ○ウルトラハンド、ウルトラマシン、ウルトラスコープなど
  子供向け玩具が大ヒット。
 ×簡易コピー機、文房具、学生用の教材、運動具、育児用品など
  多角化を図るが、どれも失敗、
  借金でいつつぶれてもおかしくない状態となる。
 ○光線銃が空前の大ヒット。エレクトロニクスの分野に足を踏み入れる。
 ×レーザークレー射撃場を日本全国にレジャー施設として
 展開しようとするが、オイルショックにより頓挫。
 ○テレビ用ゲーム機に参入。その後ファミコン、携帯ゲーム機のヒット、
  現在の任天堂となる。
 
 ▲ 「眼」を鍛え、「人」を育てる
 
 世界的ゲーム機メーカーとしての任天堂は、
 前社長 山内 溥(ひろし)氏が作り上げたといっても、
 言い過ぎではないでしょう。
 しかし、お話したような失敗の連続も、
 同じ経営者がしてしまったものです。
 
 若干22才で会社の跡継ぎとなり
 、試行錯誤の末、たどり着いた会社の基盤。
 その経験の中で、山内氏が見つけたものは、
 事業と人の「目利き」では無かったのでしょうか。
 
 数々のヒット商品の陰には、無名な社員の発想があり、
 それは会議の中から生まれることが無いことを、
 経験を持って学んだのです。
 
 大企業が、人やお金をどんなにつぎ込んでも
 ファミコンは作り出せなかった。
 しかし任天堂だからこそ、ファミコンを生み出せた。
 新しいものは、たくさんの人の知恵で作り出せるのではなく、
 優秀な社員の発想と、それを見極められる
 経営者トップの目利きにあるのです。
 
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07年05月02日 | Category: General
Posted by: ekomon
 
       ================
       読売グループ創始者 正力松太郎氏
        頭脳活用型、掛持ち症、自信家
       ================

    持ち前の頭の良さは、若いときには裏目に出て苦労することも多い
    しかし、その頭の良さは、年齢を重ねると共に研ぎ澄まされ、
    湧き出るアイデアに惹かれ、人望が集まることとなる
 
 ▲ 「無謀」を「奇跡」に変える力
 
 正力松太郎氏は、たたき上げの警察官僚でした。
 入職以来目覚しい功績でスピード出世したものの、
 昭和天皇の皇太子時代におきた狙撃事件の責任をとらされ、
 懲戒免官になります。
 
 今までろくに筆を執ったことが無い正力氏が
 無謀にも瀕死状態であった読売新聞の経営権を買い取り、
 日本有数の新聞会社に育て上げることになったのです。
 
 経営権を買い取るにも満足に資金がなかった彼は、
 元上司、同級生やその親戚友人からかき集めました。
 それでも毎月出る赤字の穴埋めに間にあわず、
 起死回生に挑んだ大イベント、
 国技館納涼博覧会の資金の工面には、
 警察官僚時代からの人脈と政治力を駆使しました。
 
 赤字経営から脱却する原動力になった、
 「世紀の囲碁対決」を実現できたのは、
 警察官僚時代の人脈であったし、
 ボクシングチャンピオンを招致し、
 また多摩川公園で菊人形展を企画したときも、
 大学時代の人脈を頼りにやっとこぎつけたのでした。
 
 自らが持つ人脈を最大限に生かし、資金、才能までも自分の見方に
 することが出来た人物、それが正力氏であったのです。
 
 ▲ 「自信」は怖いもの知らず
 
 彼は知りつくしていました、
 「大衆が珍しいものに競って飛びつく」ということ。
 警察官僚時代に、捜査や取締りをする際に必要なのは、
 大衆の利害と関心の方向なのです。
 それを先回りして察知し、
 暴発するのを防ぐのが彼の役割だったからです。
 
 そんな正力氏が実力を見せたのは、
 新聞に初めてラジオ版を作ったことです。
 ラジオ放送が開始されて4ヶ月後、
 紙の色をピンク色にした見開き2面のラジオ版をスタートさせたのです。
 他の新聞社は自分たちの敵になることを敬遠して、
 ラジオ番組を一切載せていませんでした。
 
 新聞業界の常識をまったく知らないよそ者の強みだったのでした。
 見事に狙いは的中し、一気に1万部以上発行部数が増え、
 その後もラジオの普及とともに益々勢いを増していきました。
 
 また、通信網や販売網が遅れていた読売新聞が、
 大手新聞社に対抗していくために正力氏が考えたのは、
 イベントを企画してそれを新聞に載せることでした。
 それは資金力の無い、読売新聞にとって最もお金のかからない
 拡販の方法だったのです。
 
 「イベントを立ち上げて読者の興味を引き、
 それを見込んだスポンサーからの広告収入を狙う」
 大衆が望むイベントさえ企画できれば、新規購読者が獲得でき、
 同時にスポンサーからの広告収入が入る、
 さらにはイベント自体の興行収入も期待できる。
 
 正力氏が「水雷作戦」と名付けたこの作戦は、三流新聞社が一流新聞社の
 「戦艦」に対抗するため、大衆にむけた情報と言うものを最大限に生かした
 戦略だったのです。
 
 
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07年04月27日 | Category: General
Posted by: ekomon
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