文京区の弥生町の言問通り添いに「弥生式土器発掘ゆかりの地」と
言う石碑が有ります。

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明治17年に、此処の貝塚から土器が発見されその当時の町名が
”向ケ丘弥生町”で有った為この町名を取ってこの土器を弥生式土
器と付けられたそうです。
石碑を見て、あ〜ぁそうなんだ。と思って見ても良いし、何故?
ゆかりの地なんだと思って調べてみるのも悪くない。と言う所です
が、建築をやっている者としては別の思いが頭をよぎる訳です。

弥生と言えば縄文と言われるほどに密接に覚えているのですが、
建築で言えば1950代に近代建築の中の日本の伝統の位置付けの
「伝統論争」と言う事が有り縄文なる白井晟一と弥生なる丹下健三
という事で争われた事が有名です。

根津から弥生坂を上がって行く途中の石碑でそんな事を思い出しま
した。