〔17 追放刑と財産没収刑〕

懲戒解雇と退職金不支給と読み替える。

《公共の平安をみだす者、すこしも法律にしたがわない者、人々がその下に結合し、たがいに防衛し合う条件をやぶる者-このような者は社会から除名されなければならない。つまり追放である。》

解雇については理解されてないため濫用が多いが、根源は秩序維持のために行われる。

《追放刑についても、できるかぎり恣意的でなく、また、できるかぎり明確に法律によって規定されなければならない。そして、いつでも彼がみずからの無罪を立証することができる、という神聖な権利は留保してやらねばならない。》
《追放刑を科するためには、再犯者よりは初犯者に、外国人よりは国民に、よりきびしい理由が要求されるべきだろう。》

『労働契約法第十六条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする』
また今日では、「弁明の機会」、初違反でいきなりの解雇規定適用は濫用のおそれが高いとされているところである。

《だが、追放刑に処せられ、彼がその一員であった社会から永久に除名された者の財産まで同時に没収するべきであろうか?》
《財産を失わせることは、追放よりも重い刑罰である。だから、犯罪の重さに比例していくつかの段階をつくり、そのあるばあいには追放者の財産の一部分だけを没収し、あるばあいにはその全財産を没収し、また他のばあいには追放刑だけで没収はまったくともなわない、というようにすべきだ。》

その会社における退職金の性質がまず問われる。制度としてない会社もあるので、どういう理由で支給することにしているのだろうか。あまり意識されていないことも多いが、長い勤続つまり定着を意図され、また昇進等に伴い段階的に金額も上昇する設計であるところから、賃金制度としての給与の後払い的な性質という解釈が多い(月額給与のプールという話ではない。)。そこから、全額不支給についてはそれまでの寄与度を打ち消すほどの懲戒事由に該当するのかが争点となっている。またこれ公定化されているわけではないので、これまでのその会社での懲戒履歴との公平性、妥当性、相当性などの情報が必要になってくるものである。
19年03月06日 | Category: General
Posted by: roumushi
〔16 死刑について〕

労務管理に引き込むには無理がある題目であるが、一通り見ておく。
解説によれば、ベッカリーアが死刑制度廃止を唱えた先駆者ということであるが、素直には読めない。

《人間が同胞をぎゃく殺する「権利」を誰がいつたい与えることができたのか?この権利はたしかに主権と法律との基礎になっている権利とは別のものだ。》
《法律とは―略-個々人の意思の総体である総意を表示する。さてしかし、誰が彼の生命を奪う「権利」を他の人々に与えたいなどと思ったのであろうか?》
《もしこのようなことが肯定されるのだとすれば、このような原理と、自殺を禁じているいましめとをどうやって調和させるというのか?人間がみずからを殺す権利がないというのなら、その権利を他人に-たとえそれが社会であったとしても-ゆずり渡すことはできないはずだ。》

自殺の禁止ということとの整合性となると、素直に読めないのであるが、人類学としてみれば、なかなか興味深い論理である。
なお、法が社会の総体を示すという点についても社会契約説的な理論である。

《死刑はいかなる「権利」にももとづかないものである。死刑とは1人の国民に対して国家が、彼を亡ぼすことを必要あるいは有用と判断したときに布告する宣戦である。》

一方で、ベッカリーアは「権利」論に拘泥せず、「国家の通常の状態において」死刑は有用でないとし、無政府状態にあって公共の安全を侵害する存在に対しては、必要という判断を示している。
それに引き続き、死刑の非有用性を諄々と説き始める。

《死刑は社会を侵害するつもりでいる悪人どもをその侵害からいささかもさまたげなかった。》
《人間の精神にもっとも大きな効果を与えるのは刑罰の強度でなくてその継続性である。(略)犯罪へのクツワとしては、一人の悪人の死は力よわいものでしかなく、強くながつづきのする印象を与えるのは自由を拘束された人間が家畜となりさがり、彼がかつて社会に与えた損害を身をもってつぐなっているその姿である。》
《われわれの魂は、極度の苦痛であってもそれが一時的のものであれば比較的たえられる。むしろ、長い期間のたえまない不快にたえられないのである。》
《死刑が採用されている国では、一つみせしめを示そうとする毎に、一つのあらたな犯罪が必要になるわけだ。だが終身隷役刑はたった一人の犯罪人が、国民の前にいつまでもくりかえしてみせしめの役をつとめる。》

このあたりはいかにも中世的な社会環境がみえるところである。ただ、懲戒処分の公開掲示がこれに似たものになっていて、社会的制裁になっているものとして、争われることもある。この場合、見せしめ効果は人事上必要としたうえで、ただし特定の個人に結び付く内容の情報は必要でなく、もし特定の個人と結びつく見せしめならば、必要性を超えたものとして故意・過失性が問われてくる。
懲戒処分は感情を交えず、淡々とすることである。

《処刑を見物する者の心中で、同情心が他のあらゆる感情よりも強くなる時を、だから立法者は刑の苛こくさの限度としなければならない。この限度をこえると、刑は犯人に対して科されるのでなく、見物にむけられたものとなる。》

情状酌量により罰の程度を下げるということか。ここでの趣意は、処分権の濫用は刑の意義を失い、ただ権力を誇示することになってしまうというもの。

《死刑はまた、人々にざんこく行為の手本を与えるということで、もう一つ社会にとって有害だ。》

《人殺しをいみきらい、人殺しを罰する総意の表現にほかならない法律が、公然の殺人を命令する、国民に暗殺を思いとどまらせるために殺人をする-なんとばかげていはしないか?》
18年11月27日 | Category: General
Posted by: roumushi
[15 刑罰の緩和について]

《刑罰の目的は、感覚的存在である人間をさいなみ苦しめることでもなく、すでに犯された犯罪を犯されなかったことにすることでもない。》
《政体というものが、欲望や感情のままに動かされるどころか、個々人の欲望や感情に制限を加え調節することをもっぱらの任務とするものである以上、この政体によって無用なざんこく行為がなされることが、専制君主の怒りと熱狂とおくびょうの道具であったざんこく行為がまた用いられることが、どうしてあってよかろう。》
《刑罰はその目的として、犯人が以後社会に侵害を加えないこと、又犯人の周囲の者を罪の道から遠ざけることーこれだけを目ざしているにすぎない。》


諸種の理由で、懲戒処分制度がうまく機能している会社は珍しいのではないかと思うが、そのため、違反行為があればそれが軽度のものであっても信頼関係が崩れたとして懲戒解雇と考える使用者は多い。無論、それは懲戒権の濫用になるのであって、ここでいう「この政体によって無用なざんこく行為」はあってはいけないのである。

《歴史の中で、ぞっとするようなせめ苦が無用に加えられ、それを発明し冷然と執行した怪物どもが賢者の名をもって呼ばれているのを見るとき、誰か嫌悪に身ぶるぃしない者があろうか!》

《およそ一つの刑罰がその効果をあげるためには、犯罪者がその刑罰によって受ける損失が犯罪によって得た利得をこえれば十分なのである。》

懲戒の程度の相当性をはかるのは悩ましいが、違反の程度に少し加算するのが正当。

《人間がじぶんの行為を規制するのは、彼が知らない苦痛によってではなく、彼が知っている苦痛の反復的経験によってである。》

就業規則の周知要件はかなり重要である。懲戒処分の有効性とともに労務管理として。

《刑罰が残ぎゃくであればあるだけ、犯人は刑罰をのがれようとする。多くの犯罪はまさに、はじめの刑をのがれようとしてかさねられたものなのだ。》

複数ある違反行為の何にまず気付く必要があるか。

《おそろしい刑罰が習慣化されていた時代や国では、もっとも極道な犯罪も習慣化されていた。立法者に血の法律を示唆したその同じ気風が、暗殺者や親殺しの手にあいくちを示唆したのだ。》

"ブラック"の原因である。

《刑罰が残こくであることは、このほかにまだ二つの有害な結果-犯罪予防という刑罰とは逆な結果-を生む。
第一に。無数の犯罪と刑罰の間に、正しいつり合いを規定することはひじょうにむずかしい。なぜなら、残こくさはくふうされ、いく種類のせめ苦でもつくり出されるだろうが、どんな苦痛もそれを受ける人間の感受性と肉体の構造という限界を越えるこひとはできないから。この限界がある以上、もっと狂暴な犯罪があらわれたとしても、それにふさわしいだけ残こくな刑をみいだすことはできない。したがって犯罪がそれ以上狂暴化することを防ぎようがないことになる。》

第一番に懲戒解雇処分をすればもう後はないことになる。そしてその処分が濫用として無効になることになれば、あらためて出勤停止などのより軽い処分ができない。

《第二に。極端に残ぎゃくな刑罰は時として不罰という結果をきたす。人間性のちからは善においても同様、悪においても限界をもっている。あまりにも野蛮な処刑の光景は専制者の一時的な残ぎゃく行為としか見えず、立法がそうあるべき安定した制度として維持され得ない。》

最後に、ベッカリーアは社会通念に触れている。
《刑罰の重さはその国のその時の実状との関連においてきめられなければならない。(略)人心がおだやかになるにしたがって(略)刑罰の目的と刑罰から人々が受ける印象との間に同じ関係を保とうとするなら、刑罰のきびしさは緩和されねばならない。》

これをそのまま採用するならば、同じ会社で同じ違反行為であっも、過去の処分の程度と違うこともありうるということである。悲惨な交通事故事件から、飲酒運転とあおり運転の厳罰化に進んだのと同じである。なお、この場合そのような通念の合理的説明は最低限の要件となるであろう。
18年04月29日 | Category: General
Posted by: roumushi
[14 未遂・共犯・共犯密告者に対する刑罰免除について]

ベッカリーアが悩んだテーマという。

《法律はたんなる意思を罰することはできないが、だからといって、ある犯罪を犯す意志の表示である実行の着手があった場合、これは刑罰に値するとみなければならない。ただしこの刑はその犯罪の既遂のばあいより軽くなければならない。
この刑罰が必要なのは、犯罪はそれがたとえ着手のほんの第一歩の段階であっても予防しなければならないからである。》

《共犯についても同様で、共犯者のうちでも直接の実行者とそうでない者との間には刑に差別をつけなければならない。
数人の人間が結託して共通の危険をおかそうとするとき、その危険が大きければ大きいだけ、彼らは危険を平等に分担しようとするものだ。だからもし法律が共犯者のうち実行者をより重く罰することを規定すれば、実行者にとってはおかす危険が大きいことになり、犯罪をたくらんだ者たちの間ですすんで実行者となる者が出にくくなる。》

労基法には罰則があり、違反の実行者としては上司や人事責任者が該当することが多いが、社長はなることが少ないようである。刑罰適用に「忖度」とか無言の要請の要素が入る余地はほぼ無い。管理責任は民事の概念である。なお、両罰として実行犯と別に法人罰も課されるが、あくまでも法人なので懲役はない。パワハラ構造と同じで、関係性からいって実行犯よりも取締役の方が捕捉されるべきであるが、そうはならずまた刑事判断は疑わしきは罰せず原則である。労働刑法の検討を求む。

《いくつかの裁判所は大罪の被告で共犯者を告げた者には刑罰免除の恩恵を与えている。これは方便だが、危険がともなうことはさけられない。危険というのは、こうすることによって、社会は、犯罪者たちの間でさえいみきらわれている裏切りを、法律によって許容することになり、裏切りはひきょうな犯罪を生むからである。これはエネルギーと勇気にもとずく犯罪よりずっと有害である。》
《犯罪を探知する手段として不罰を用いる裁判所は、そのたよりなさをみずから示している。また法律は、法律を犯すその同じ犯罪人の助けをかりることによって、その弱みをさらけだすことになる。》
《他方、共犯者を告げる犯人に対して不罰の希望を与えることは、だいそれた犯罪を未然に防ぐことになり、また大犯罪が犯されながら犯人があがらないのを見てつねに不安におののく民衆の心を安めさせるゆえんにもなる。
この方法はまた、法律すなわち社会契約をやぶる者は、個人間の契約をたやすくやぶるのだということを示してくれる。》

ここでベッカリーアは悩む。
《民衆の信頼の保証であり、人類道徳の基礎である神聖な法律は、詐欺を誘導したり、裏切りを合法化することはできない。》と。

ベッカリーアは不罰を与えると同時に、追放令を与えるべきと譲歩するも、やはり神聖な法律を汚したものとして考える。

懲戒処分においては未遂と既判とで相当な罰を与えることは可能である。密告についての取扱いを定めている会社は知らない。情報提供や秩序違反行為等を止める義務についての規定を設けているところはある。裏切りによるリークはそれまでの状況や改悛や関与の程度から相当な罰に止めるのは可能である。
18年03月08日 | Category: General
Posted by: roumushi
[13 訴訟期間および時効について]

《証拠が得られ、犯罪が確実になったら、被告がみずからを弁護するように時と方法を与えるべきだ。しかしこの期間は処罰のじん速性をそこなわないよう、なるべくみじかくしなければならない。処罰のじん速性は、すでに言ったように犯罪に対するもっとも強力なクツワである。
あるいは、誤解された人類愛にもとづいて人々は訴訟期間の短縮を批難するかもしれない。だが、もしむじつの者が危険にさらされたとしても、それは訴訟がじん速におこなわれるからではなく、それとは別な法制上の欠陥のためだということ、それどころか、訴訟がはなはだしく手間どるために、むじつの者がこうむる危険は無数に増加するということ、を洞察できる人々は、訴訟期間の短縮に賛成してくれると思う。》

 就業規則違反となる事実関係が明らかになれば、速やかに懲戒に関する調査を行い、本人に弁明の機会を与える。調査は迅速に行い、処分を下す。調査から処分までの迅速性は違反者でない場合のリスクをより回避させるものであり、不安な点があればそれは調査の欠陥や懲戒規定の欠陥なのである、と読みかえられる。

《犯罪の証拠調べにあてられる期間、および被告が防ぎょするために与えられる期間を定める権限は、法律にだけ属する。もしこの権限を裁判官にもたせれば、彼は立法者の職能をおこなうことになってしまう。》

 会社では三権分立ということになっていないので、厳密ではないが、就業規則に合理的な規定をするのがなお客観性の担保になろう。

さて、時効である。懲戒規定に時効を設けている例は知らないが、刑事訴訟法に準じて進めることはまちがいないので、あまりにも過去の違反事実を取り上げた処分は、無効になる可能性は高いだろう。

《人々の記憶に長くのこるような凶悪な犯罪については、ひとたびその犯罪事実が証明されたうえは、逃亡によって処罰をのがれようとする犯人を助ける結果になる時効は一さい認めてはならない。しかし、あまり大したことのない、すぐ忘れられてしまうような犯罪については、おのずから事情がことなる。このばあいには一定の時効期間を定め一人の市民を不確実な運命からすくってやるべきだ。つまり、逃亡犯人はみずから科した追放罪によって十分罰されたのだから、それ以上新しい罪を受けはしまいかと気づかうことなしに、ふたたび世に出られるようにしてやるべきだ。犯罪が長い間うずもれ、世に知られずにいれば、ことさらこれを罰してみせしめをする必要がなくなるから、それよりも犯人に更生の余地を与えたほうがいい。》

 みずから追放罪を科すとはユニークである。懲戒とは関係ないため、端折るが、「犯人がみずから科した追放刑および判決にさきだって被告人が受けた未決勾留期間を宣告罪刑の一部に参入する」という理論も出している。

《犯罪は二種類に区別することができる。第一の種類に属するのは殺人からはじまってそれ以上あらゆる極端な犯罪、第二の種類に属するのは殺人よりも軽い犯罪である。
 この分け方は自然の法則からみちびかれたものである。生命の安全は自然の権利であり、財産の安全は社会的な権利である。》

 ベッカリーアは言う。生命の殺人を遠ざける憐みの感情を押し殺してしまう動機はそう起こるものではないが、所有権を侵害する動機はいくらでもある、と。

《極端な方の犯罪にあっては、それがまれにしか起こらないものであるという道理じたいから、被告がむじつである確率は大きい。したがって時効期間は長くされるべきだし審理の期間は短くされるべきだ。なぜなら、こうして確定判決をはやめることによって、人々が不罰の期待をいだくのをさまたげることができるから。そして犯罪の凶悪性が大きいほど、この期待を人々の心にいだかせておくのは危険だから。》

これはわかりにくい理論である。犯罪の種類と、それに対する時効期間と証拠調べのための期間の関係について論じている。

《第二の軽い犯罪にあっては、反たいに被告がむじつである確率は少いから審理期間は長くし、不罰にともなう危険は小さいから時効期間は短くするべきである。》

次の説明により、意図するものがみえてくる。懲戒処分は一度取り上げられ処分されなかつたものは蒸し返すことを禁じているが、それは時効を設けていないからである。時効規定がある場合は、蒸し返しも合理性を帯びる。

《有罪か無罪かが裁判上確認されなかった被告は、証拠不十分の理由で釈放されるが、もしその時効期間が経過しない前に新しい法定証拠が発見されたばあいは、その同一の犯罪についてふたたび逮捕されふたたび審理に付されうるということに注意していただきたい。》
17年10月21日 | Category: General
Posted by: roumushi
ページ移動 1,2, ... ,36,37 次へ Page 1 of 37
新規顧客開拓 FAXのdm faxdm