政治・経済・国際・法などでは届かない領域というものがある。とりあえずその領域を「文学」と呼んでおく。

文学作品は、近代以降急速に政治・経済・国際・法などをモチーフそしてテーマとして採り込んで拡大化したが、本来の領域での活動を放置していたことで、現在急速にしぼんでいる。


博物館主幹、痴漢で逮捕=女性訴え、客しばらく無反応−神奈川

名刺で名乗り合うということで、そこに日本社会ができる。単純である。かつては「おひかえなすって」とか色々と口上を述べていたらしい。虚偽の名刺でも可能だが、それは日本社会の成立ちである信頼根幹を崩す行為なので、相当恐ろしい社会的報復に遇うと考えてよい。だから、できそうでいながらほとんどの日本人はやらない。
問題は、名乗り合わない状態の「赤の他人」と関わるかどうかということになる。つまり、そこは「日本社会」ではなく、信頼関係のない天然のヒト社会である。そこは「自分力」で動いていくしかないところで、リスクの高いところである。

また重要な観点だが、現代の多くの会社内において「自分力」が強く要求されている。既にそこは、電車内と同じ空間である。「日本株式会社」の時代には、派閥などによる人事操作が横行していたが、そうしたかたちでとにかく自己の所属と信頼の置き所を安堵していたのである。それは今すっかり嫌われてしまい、喪失したが、その反面、所領安堵のない不安な状態が続いている。言うまでもなく、これが今日のメンタルヘルスの原因である。