08年09月01日
■ちょっといい話
あの古賀政男さんのことを紹介します。1978年73歳で没。
生家は貧しかったそうです。明大の苦学生だった頃金がなくて、愛用のギターを質に入れようと思ったこともあったという。
その苦境を知ったお母さんが、5円85銭送ってくれた。
「母と姉が懸命に働いて送ってくれた金だった」
やがて古賀さんは、ヒットメーカーへと驀進し始める。
手始めの大ヒットが、『酒は涙か』であった。
初めての大金が、印税として古賀さんに支払われた。
その印税から古賀さんはお母さんに仕送りをした。その金額は?
なんと、『585円』であった。苦しいときお母さんが送ってくれた金額の、ちょうど100倍であった。
「お母さんが送ってくれたお金で、こんな仕事ができました・・」
古賀さんの真情と感謝の念を、この100倍の金額の中に、ギューッと閉じ込めた、古賀さんらしい謝恩の表現である。
気持ちのこもった、いい話である。
生家は貧しかったそうです。明大の苦学生だった頃金がなくて、愛用のギターを質に入れようと思ったこともあったという。
その苦境を知ったお母さんが、5円85銭送ってくれた。
「母と姉が懸命に働いて送ってくれた金だった」
やがて古賀さんは、ヒットメーカーへと驀進し始める。
手始めの大ヒットが、『酒は涙か』であった。
初めての大金が、印税として古賀さんに支払われた。
その印税から古賀さんはお母さんに仕送りをした。その金額は?
なんと、『585円』であった。苦しいときお母さんが送ってくれた金額の、ちょうど100倍であった。
「お母さんが送ってくれたお金で、こんな仕事ができました・・」
古賀さんの真情と感謝の念を、この100倍の金額の中に、ギューッと閉じ込めた、古賀さんらしい謝恩の表現である。
気持ちのこもった、いい話である。