名前:元橋茂夫
url:http://www.mao-kaikei.com
E-mail:junsan23@tkcnf.or.jp
士業種:税理士・公認会計士
所属団体:
住所:千葉県船橋市本町2-10-14 船橋サウスビル7階
Tel:047-495-8300
Fax:047-495-8400
■事務所紹介
  設    立:  1986年(S61) 元橋公認会計士事務所 開業
           現在は法人化し、税理士法人元橋会計事務所とし現在に至る
  所 員 数:   50名 (平成30年9月現在)

■所長プロフィール
  1981年(S56年)8月  公認会計士登録
  1985年(S60年)8月  税理士登録 
  趣    味:  食べること、飲むこと、仕事すること

※当事務所では税理士業務の他、財務に関する様々なコンサルティング業務を
 行っております。詳しい業務内容については弊社ホームページ(上に記載)をご覧ください。 
18年09月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●「カウンターを乗り越えよう」が合い言葉
業種も業態もほとんど変わらない、A、B両社の業績を比較してみよう。
A社には、実は「カウンターを乗り越えよう」という合い言葉がある。ここで言うカウンターとは、得意先との間に横たわる仕切りみたいなもので、このカウンターを乗り越えてこそ、「新しい需要が隠れているぞ・・」という意味である。
例を紹介しよう。ある係長が息子と風呂に入っていた。息子が風呂桶を湯に沈めて遊んでいた。風呂桶を逆さにして湯に沈めると、桶内の空気が泡となり、息子はそれをオナラに見立てて、「わーい、お父さんのオナラだ!」と言ってはしゃいでいる。
この経験から係長(父親)は、ハタと思い出した。時に本四国架橋の三橋の中でも、最初の瀬戸大橋工事が目前に迫っていた時期である。工事では基礎となる橋脚の土台作りが重要だ。
得意先の旅客鉄道会社に行くたびに、橋脚工事の難しさが話題に上がらぬ日はない。係長はこの橋脚工事に伴う海底の岩盤整備が難工事なのを、知り尽くしている。発破をかけてもヒビが入る程度でびくとも動きゃしない。仕方がないから潜水夫の手で動かすのだが、口では簡単でも何しろ海底での作業だ。この工事だけで何日も何十日もかかるのだった。
係長はこの息子の湯遊びから、とんでもないヒントが閃いた。これがうまく行けば、海底の岩盤整備は難工事から、超簡単工事に変わるはずである。会社でも社長にまでこの話を上げて検討した結果、組織を上げて超スピードで実験することになった。

●会社の遺伝子として伝わる開拓魂
実際に近付けるために、東京湾でも実験した。その結果は上々である。
名称は、何とするか。「よし、水中クレーンにしよう」ということで話はまとまった。
途中経過を省くが、簡単に言えば耐久性のある風船となる袋を、潜水夫がもぐって岩盤に取りつける。そして船上のコンプレッサーから、空気を送り込むのである。するとやがて空気で膨らんで浮力がつく。すると、ちょっと手を加えるだけで岩盤は横に移動できるのだ。
これを鉄道会社の人の前で披露するや、みんなもびっくりして賛同しこの「水中クレーン」は目出度く採用と決まったのである。もちろん実際の工事でも威力を発揮したことは勿論だ。
こうしたA社の「カウンターを乗り越えよう」という精神は現在も受け継がれ、旅客鉄道会社からの厚い信頼は抜群なものである。
だから鉄道会社に何か困ったことが起きると、「じゃあ、A社に相談してみてはどうか」という反応が、決まり文句になっているのだ。
「じゃあ、A社に相談してみてはどうか」という得意先の反応こそ、じつはA社が狙っていたもので、言い換えれば、得意先の不自由こそA社の利益となる。
一般には、決まった得意先ができると、カウンターを乗り越えてまで仕事をすることはなく、ただ無難に注文をこなすのが精一杯、というのが当り前になっている。
いま紹介したのは鉄道会社の例だが、あの会社もこの会社も、A社には舌を巻いている。
世間ではよく、「コンサルティング営業」と言われるが、A社の「カウンターを乗り越えよう」精神こそ、まさにこの言葉を具象化したものだ。
同業他社に対してA社の成長は、ここ20年間で10倍強に伸ばし四百億円単位である。
あの係長も、当然ながら実績にふさわしいポストの役員になり、「カウンターを乗り越えよう」の精神を若い者に注入している。もはや開拓魂はA社の遺伝子と化しているのだ。
18年09月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●毎日似た仕事は習慣となりついでにボケる
また一人惚けて逝った。妻の親友のMさんの亭主のことである。
有名大学の教授で、歴史や哲学関係を教えていたという。真面目な人であった。
歴史や哲学というのは、世界史であれ日本史であれ、あるいは中国史や西洋史にしても、一度覚えたら、特殊な価値観の修正を迫られる事情が発生しない限り、不変なのである。
つまり昔覚えた知識を、来る日も来る日も、今年も来年もそのまた翌年も、同じ知識をベースにして教えることができるのである。
一般に世間では、こんな例のように“昔とった杵柄”でいつまでもメシが食える仕事をしている人は、ボケる人が多いと、昔から言われている。
この知人も、根が真面目な人だっただけに、いつかはボケるんじゃないかと思っていたが、それが的中した。
もう十年ほど前から、「うちの人、ボケで仕様がないのよ。さっき食べたごはんのことを忘れて、昼飯はまだかと言うんだから・・」という愚痴は聞いたことがある。
それがとうとう、奥さんが「ボケで逝ったのよ」と言う羽目に陥ったのである。
Mさんのご主人のようなタイプ(真面目な謹厳実直型)は、ボケやすいというが・・注意が必要である。

●定年のあと1年でもボケます
ある医師は自著に、地方公務員のことを痴呆公務員とジョーク的に書いていたが、地方公務員を含む公務員の人で、明けても暮れても似たような仕事をしている人もボケる人になりやすいと書いていた。そういう意味では、変化の嵐の中で働くことはいいことかもしれない。
しかし、毎日似たり寄ったりの仕事でなくても、ボケた人を知っている。
ある薬品を扱う会社で、常務を最後に退職したAさん、退職後1年もせずにボケた。
同じ認知症(ボケ)でも、例外もあるらしい。ただ真面目という点には変わりない。
ではボケないためにはどうすればいいのか。世間に害毒を流さない程度の不良に生きることがいいらしい。
18年08月01日 | Category: profile
Posted by: mao
●水商売でタネ銭づくり
浅野総一郎は、昭和5年に83歳で大往生を遂げている。
浅野は文字通り“徒手空拳”で大成功した人物である。まず最初はタネ銭づくりだ。
いま語るとウソという人もいるほどだ。それは現在の御茶ノ水の橋の上。盛夏の真っ昼間。「さあ、冷やっこい冷やっこい、甘くて冷たい水だよ・・」と大声を張り上げる男がいる。
よく聞くと一杯がただの一銭だ。だったら飲もうかと思う者もいる。こうやって、一人が飲めば二人が飲み、三人となり四人という具合に客がついた。日に4、50杯は売ったという。
当時は現地に高林寺という禅寺があり、きれいな清水が湧き出していた。時の将軍の徳川秀忠公に献上したら大喜びで、当時の江戸屏風絵にも“高林寺御茶ノ水”として残されている。
しかし仕入といえばタダ同然で、砂糖を加えただけ。これでしこたまタネ銭を稼いだ。
しかし盛夏が過ぎ秋の訪れとともに水は売れなくなる。そこで横浜の“小倉屋”という味噌醤油を商う店に就職。ここで一大発見をする。当時の味噌は竹皮に包んで売っていた。
一大発見とは竹皮だ。相場を調べるといい値段で売買されている。情報を掴み行動は早い。
早速千葉県の姉ヶ崎に飛び、竹皮を仕入れ味噌醤油の販売店に売り込んだ。よく売れた。
儲けは冷やっこい水の比ではない。こうやって大事業の元金を稼いだのである。
全身を情報アンテナにしての動きには磨きがかかる。そうした某日、横浜港でも一大発見。
当時の荷役はモッコ(持籠)で石炭を運んでいた。ところがポロポロと落としている。だれも拾わない。自分が拾ってみたがだれも文句は言わない。それ以来毎日拾うことにした。
塵も積もれば何とやら。やがて住吉町に店を出し、税関、裁判所、警察、病院など片っ端から売り込みをした。やがて官庁と取引きしているのが信用になると読んだ。
某日、「石炭が1,200トンある。買わないか」という話が持ち込まれた。
●情報管理も人脈づくりもスキがない
価格は交渉をしたものの4,000円だ。当時の銀座の土地が800坪は買えた金額だ。
売るのはタイミングだ。当時“敦賀丸”という船が横浜港に停泊していたが、石炭がないから動けない。「売ってくれ」という。ここが潮時と売った。生まれて初めて手にした大金だ。
こうやって、ある日総一郎は例により朝の銭湯に入った。すると赤猫の噂で持ちきりだ。
赤猫とは火災のこと。ゆうべも赤猫が出たという噂である。ここで総一郎は考えた。
「現代の日本の家屋は木造だ。コンクリートにすれば赤猫防止になる。よし次はセメントだ」
そこで石炭商売で出入りしていた会社にセメント工場があったのを思い出した。行ってみると蛻(もぬけ)の殻ではないか。国営だったが赤字で閉じていた。昔も今も国営は甘いのだ。
そこで以前に渋沢栄一が、「オモシロイ奴、ヒマな時に来るがいい」と言われていたのを思い出し、尋ねて国営のセメント工場の払い下げを頼み込んだ。
午後10時過ぎに尋ねると、こんな遅くには会えないと断られた。「ヒマな時に来いと言ったのはそっち。俺がヒマな時とは午後10時過ぎだ」と言い、とうとう根負けして会った。
こうやってついに、株式会社浅野セメントが誕生したのである。
とにかく総一郎は、「一日4時間以上寝るとバカになる」を口ぐせに生涯を終わっている。
関わった事業は、浅野セメント、東洋汽船、磐城炭鉱、浅野造船、関東水力、庄川水力、東京湾埋立、浅野物産、浅野小倉製鋼、京浜運河など。間接的に関わりのある企業としては、南部鉄道、五日市鉄道、青梅鉄道、朝鮮鉄山、富士製鋼、大島製鋼などがある。
いま浅野が残した教育遺産は、浅野学園という中学校と高等学校がある。そして、JR鶴見線には“浅野駅”がある。ネット地図を紐解くと“浅野駅”が息をしているのである。
18年07月01日 | Category: profile
Posted by: mao
長野県の建設資材の会社で、「わかりました、明日一番で送ります」という返事が大きな問題になったことがある。
たとえば資材をこの会社に注文する。そんなとき、電話を受けた者が口にする返事が、「わかりました、明日一番で送ります」とか、「大至急お届けします・・」だったのである。それこそ口癖のように。
ところが一番どころか、一日中待っても届かないで、ついにしびれを切らした相手が、「きみんとこの朝一番は、一体いつのことなんだ」と大声を出すに至ったのである。
しかも多くの得意先で多発していたのだ。何の算段もないのに発して良い言葉ではない。無責任の極みだ。
この会社ではまた、こんな現場を見たことがある。
松本支店を訪ねたとき、門を入った付近の草取りをしている男がいた。やがて約束の時間となり、目の前に現れた支店長を見てびっくりした。先程見た草取りをしていた男だった。
率先して草取りを・・という姿を見せようとしたのだろうが、管理者としての姿勢が「ナッチョラン」のである。考え方からして次元違いなのである。
「部下を指揮して、最大効率の仕事をさせる」という管理者の仕事が、まったく出来ていなかったのである。
この会社では、約一カ月後にこの支店長は降格になったのは当然として、全社員の教育も始まったそうだ。
しかし最近、ネットで調べてみると、この会社は銀行管理になっていた。やはりトップの指導力が問題だったのであろう。
18年06月01日 | Category: profile
Posted by: mao
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