私は、文章を書くことを得意といたしません。
私の父は、栃木県において長年、同人詩「橋」のメンバーでした。
また、芸象(現代詩集)のメンバーでもありました。
その父が、昨年、他界しました。
子供のころ、出来上がった詩の朗読を父に聞かされ、「どうだ!」と意見を聞かれる
のがとても嫌でした。詩、短歌、俳句、随筆等、文章を鑑賞すること、書くことも
大嫌いでした。
なぜかと言いいますと、文章の良し、悪しが全く分からないからです。
ただ、一度、「橋」の主催者でおられた、故手塚武先生に褒められたことがあります。
その褒められたことは、「君はとてもいい感性を持っている。」と言われたことです。
父,母と共に武先生と奥さまのお伴をして、日光の春を散策しにいききましたとき、
御用邸のお庭にて満開のシャクナゲを目にし、そのまま含満ヶ淵ふちまで足をのば
しました折、御用邸のお庭は静寂の中で春が競い、含満ヶ淵は雪解け水が豪快に蛇行
し、その様を目に少し身が緊張したことを今でも記憶にとどめいます。このとき、
散策中に感じたことを私は、無意識にひとり言のようにつぶやいていたのでしょう。
そのつぶやきを武先生が耳し、「君はとてもいい感性をもっている。」と
おっしゃられたのだと考えます。この武先生の言葉を信じ、父が亡くなったのを期に
文章を書くことに少し興味を持ってみようと考えます。
まず手始めに、私が出た大学がある会津について書いて見ようかと思います。
会津の春(1)
会津の春は、私にとってはとても感動的でした。
桃、梅、レンギョウ、桜、ツツジ、菜の花、若芽の芽吹きが、ほぼ同時期に咲き競う
のです。
雪のなかで春を待ちつづけた春の花々、木々の芽が一斉ににさきだすのです。
会津はすり鉢状の盆地です。冬に降り積もった雪の雪解け水をたっぷり大地が含み、
会津の大地は黒々とした斜面のキャンバスとなります。
黒く広がる斜面に黄色と緑の菜の花の帯びが描かれ、梅、桃、レンギョウ、ツツジが白、赤、黄、ピンクと点在し、そして、山には薄い桃色の綿あめのような桜の群落を見ることが出来ます。春が一度に噴き出す様は、関東平野で育つた私には、驚きでした。
関東平野の春は、寒く乾燥した白っぽい、大地に、満作から始まり、蠟梅、2月に紅梅、
白梅がさき、3月初旬に春を告げる水分をたっぷり含んだあわ雪がふり、
寒い日と暖かい日が幾度か繰り返された後、桜の花が満開となりなります。
桜の花が咲くとき、花冷えといって多少冷え込むのが常です。
そして、空は花霞という言葉がありますように、晴れていても薄い水色です。
冬の乾燥から開放され、一雨ごとに大地が潤い、その大地が暖かい日の光に暖められて陽炎がたつのです。水分を多く含んだ空は紺碧の青にはなりません。良く晴れた冬の日の関東平野の地平線に小さく鮮明に見える富士山を春霞はその霞の中に隠してしまいます。
桜の花が散ると、気温が上昇し5月の連休にむけてツツジ、さつきが咲き一揆に初夏に
突入するのです。関東平野の春は、少しずつ少しずつ段階を踏んで春になるのです。
しかし、会津の春は、大地が一揆に春を噴き出すのです。