「やる気が失せる瞬間」というものがあります。時間があればジグソーパズルをやっていたAさんはある日、友人に「それって何の意味があるの?」と訊かれ、その瞬間「もうやめよう」と思ったそうです。自分はジグソーパズルが好きなわけではなく単なる暇つぶしだった。それに気づいてしまったら途端に虚しくなってしまったのです。今やっていることの目的が見えなくなったとき、人はやる気を失います。
 大昔のローマには、穴を掘っては埋め、埋めてはまた掘ることを延々と続けさせる刑罰があったそうです。肉体的な苦痛を与えることだけが目的ではありません。
 人は無意味なことを繰り返しさせられることに耐えられないからです。穴掘り刑罰の目的はむしろ精神的な苦痛を与えることにあり、実際に気が狂ってしまった囚人もいたようです。この刑罰は、目的のない行為がいかに虚しいかを象徴しています。
 もしも穴掘りに「井戸を作れ」という大義名分があったら、実際の行為はともかく囚人にとっては救いだったかもしれません。しかし、それでは刑罰になりません。では、「これは体を鍛えるためのエクササイズなんだ」と自分に言い聞かせてみたらどうだったでしょう。刑期を終えて外に出たとき、体が鈍っていては話にならない。穴掘り刑罰を利用して今から体を鍛えておこう。
 そんなふうに考えれば、その瞬間から穴掘りの意味はまったく変わってくるはずです。 また、目的を見つけたことで取り組む姿勢も変わってくるでしょう。
 冒頭のAさんも最初から「暇つぶし」を目的にジグソーパズルをしていたら、「何の
意味があるの?」という問いかけに動揺することはなかったのです。「意味がない」
のではなく「意味を見いだせなかった」自分にやる気を失ったのでしょう。
 目的や意味はあらかじめ用意されているものではありません。他人が与えてくれるものでもありません。
 商売が大変なときは「こんなことをして意味があるのか」と思いがちですが、目的や意味は自分で見いだすものです。今やっていることの意味を見いだせたとき、必ずそこには大きな価値が生まれます。