小倉昌男さん、いうまでもなく“宅急便”を生み出した、ヤマト運輸の元経営トップです。
 小倉さんは、宅急便を完全に成功軌道に乗せたあと平成七年に会長を辞任するや、今度は私財を投じてヤマト福祉財団を立ち上げ、社会貢献に身命を賭けた人でもあります。
 この小倉さんが、のちにお書きになった「経営はロマンだ」(日経新聞の「私の履歴書」の文庫版)のまえがきに、こう書いていらっしゃる。

「目的を決める。目標を掲げる。実現するための方法を考える。経営とは考えることである。
 でも考えてもわからないことがある。そのときはやってみることである。やってみればわかることが多い。こうやって試行錯誤しながらすすむ。
 経営はロマンである。だから経営は楽しい。目標を決め方法を考え実行する。この間の緊張は堪らない

 短文ながら、一字一字がずっしりと重い。
 たとえば一般家庭対象の市場調査というと、大手広告代理店や調査専門会社を使うところが多いなか、小倉さんは、自分で考え自分で采配し調べています。
 「これはおかしい?」と思うことには、闘いも挑みました。この優しい人情厚い小倉さんが、「規制行政が、すでに時代遅れになっていることすら認識できない運輸省(当時)の役人の頭の悪さには、あきれるばかりであった」とも書いている。
 「私は大阪を訪れた時に、大手ライバルの支店をこっそり覗いてみた」
 これぞ、小倉さんの市場調査の一環です。
(小倉さんは平成17年6月、80歳で逝去。合掌)
06年06月19日 | Category: General
Posted by: mao
 大阪に本社を構えるK社(社員数約800名)は、照明器具を主力製品とする大手メーカーです。
 この会社の営業マンが、毎日書く営業日報には、顧客からの苦情欄があり、この部分はミシン線で囲まれ、切り離すことができるようになっています。じつはこの部分には、社長の方針が息づいているのです。
「ほかの事項は各部門長が見ればいい。しかし顧客の苦情だけは、社長まで報告をあげなさい」という社長の考え方が、日報の書式に反映されているのです。
 しかも、「きょうの苦情は、きょう報告すること」という即時性が実行されています。
 顧客からの苦情は、製品の改良や売り方の改善に関して、貴重なヒントが得られることは常識ともいえます。
 ところで御社の場合、得意先や顧客の苦情、どうやって受け止めていますか。
 M鉛筆という会社の場合、一本のボールペンが不良品で返品されても、速達で対応しています。だから苦情を抱いた客が、その後の長きにわたり、さらにM鉛筆製品のファンになるのです。
だから苦情に関しては、「災い転じて福となす」という考え方をするのも、会社の常識といえますぞ!
06年06月13日 | Category: General
Posted by: mao
アサヒビール飛翔の起爆剤になった製品は、「スーパードライ」ということは、多くの消費者も知っています。
当時の経営トップは、銀行経営者から転じた樋口広太郎さん(現在、名誉会長)でした。
この樋口さんはしばしば、「バッドニュースが、経営トップの耳に入らなくなったら、経営は必ず傾く」ということを語る人でした。大勢の経営者を前にすると、必ずといっていいくらい強く訴えた人でした。
バッドニュース。言うまでもありません。経営に悪影響をもたらす情報のことです。
古典に類しますが、ナポレオンの話です。ある深夜最前線から、伝令が早馬で報告に来た、ということです。
その報告内容は、わが軍は連戦連勝で進撃中という、じつに耳障りのいい内容だったそうです。
ところがナポレオンは、伝令に強くいい含めて、前線司令官のもとに帰したそうです。
「良い報告はゆっくりでいい。悪い報告こそ、深夜といえども時機を失せず報告せい」

ところで明治安田生命の、保険金不当不払に関する新聞記事は、途絶えることなく掲載され続けています。
最近のある新聞の大見出しは、「社長直通へ体制改革中」というもので読者に迫っていました。
何のことはない。顧客から山ほどの苦情が寄せられていたにかかわらず、社長には一件の苦情さえも届いてはいなかった、という記事です。(届いていたら、顧客苦情にそって解決していたかは不明だが?)
保険会社の社長にも、アサヒビールの樋口さんや、ナポレオンのような考え方(危機管理意識)があったなら、顧客からの苦情は必ず報告せよというトップの意志を、全社員に浸透させていたはずです。
つまり、保険会社の社長には、そういう意識は完全に欠落していたということでしょう。
06年06月06日 | Category: General
Posted by: mao
一年の計は元旦にあり、そして、一日の計は朝にある・・・と言われる。
さて、頭の中に描く計画なしに出勤した人の中には、「きょう、真っ先に着手する仕事は何か」を決めないままにやって来る人が多い。そして、そういう人に限って、なんとか朝の行動をごまかしてはいるが、朝一番に手をつける仕事が定まらず、ウロウロしている人が多い。
最初に着手する仕事、つまり、ファースト・ワーク(FW)が決まっていないからだ。
特にその日が休み明けの場合は、休日の直前に、「休み明け(来週)は、何をやるか」という行動計画も漠然としたままと、相場は決まっている。
こういう人の動きには、とてもムダが多いものだ。
たとえば営業マンに例をとると、朝一番の訪問先が決まっていないのは、単に朝一番の仕事に限らず、行動全体の計画性がいい加減な傾向が強い。
それに比べ、FWがしっかり決まっている人は、二番目以降にやる仕事も決めているものだ。だから、朝から動きにムダがない。アイドルタイム(生産性に結びつかない時間)がないのだ。
06年05月29日 | Category: General
Posted by: mao
 積水ハウスという会社は、もともと、積水化学工業?のハウス事業部を母体として昭和三五年に、積水ハウス産業?が創立され、さらに三年後の昭和三八年に、田鍋健さん(故人)が社長に就任すると同時に社名を、現在の積水ハウス?に変更したものである。田鍋健さんが、積水ハウス?の実質的な創業社長なのだ。
この田鍋さんという経営者を、凝縮して表現すれば、“人を生かす経営者”と言えそうだ。
ある日。その年の新入社員たちが、現場に配属された頃を見計らっての某日。
 田鍋社長は、仙台の現場視察に出かけた。オフィスに足を踏み入れるや、社内いた二人の新入社員に近付いた。「どうだ、仕事にはだいぶ慣れたか?きみはたしか、岸和田から入った鈴木くんだったな・・」そう呼ばれた鈴木はびっくりする。と同時に、自分の全人格を百%以上に認知された思いで感動すらした。〔入社式のとき、遠くの演壇の上に見たあの社長が、おれの出身地やなまえまで覚えていたとは・・!〕
 もう一人の佐藤という社員には、こういって声をかけた。佐藤もまた感動し、積水に入った喜びを噛みしめた。「きみは鈴木くんと違って、東京の立教大を出た佐藤くんだったかな。どうだ、元気でやっとるか・・」 二人とも、数百名の新入社員の一人として、雲の上の人かと思っていた田鍋社長が、自分たちの出身地や出身学校まで覚えていたことに、身震いするほど感動し、いい会社に入ったものと思ったものだ。
 しかしこれは、すべて田鍋社長の、繊細な計画に基づく、モチベーショナル・アクションだったのだ。
 田鍋さんが積水ハウスの社長になったとき、積水ハウスは赤字だった。田鍋さんは語っていたものだ。「幹部たちの顔にすら、“あと二年も辛抱すれば、本社に戻れる”という文字が見えました。だから私は、化学工業と決別した会社にし、骨はこの会社に埋める覚悟で働け、という決意を示したのです」
加えていま紹介したような、繊細なモチベーショナル・アクションで、社員の意欲を高め、ついに販売力で業界一と呼ばれる、強靭な会社づくりに成功したのである。
 ちなみに積水ハウスでは、“我が社は住宅産業”に属しているとは言わない。“我が社はサービス業だ”という。顧客第一主義を徹底する、精神的な支柱にする経営スタンスなのだ。
06年05月23日 | Category: General
Posted by: mao
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