いま、ダンボールの便利さや貴重さを、感じない人はいない。
 これを考案した人は、井上貞次郎氏(レンゴーの創業者)である。
 この井上が先頭に立ち、仲間二人とダンボールの考案を続けていたが、失敗に次ぐ失敗で、とうとう仲間二人は井上に見切りをつけ去ったののである。金がないのはわかっていたから、仲間の一人は、「お前が着ているどてらを脱げ」といって、一張羅のどてらさえ持ち去ったというから、ひどいどん底暮らしだったことがわかる。しかし仲間が去った直後井上は、現在の品質レベルに近いダンボールの考案に成功した。ときに、明治42年のことである。
 失敗といえば、本田宗一郎も松下幸之助も似たような経験を経た。
 松下の場合、自信をもって作った二股ソケットが売れず、協力を続けてきた仲間も、「これじゃ食えないから」といって去った。
 「とうとう身内だけになりました」と、当時を語った松下だ。
 本田宗一郎は本業に躓き、合成酒や塩を作って糊口をしのいだ時期もある。「99の失敗の果てに、1の成功が残った」という本田のセリフは、こういう経験から出た言葉である。
 失敗と成功は相反するものではなく、成功するためには避けて通れない、険山らしい。「失敗は成功のもと」ともいう。