保険料か税か…年金制度改革めぐる論議本格化 政界再編にらんだ思惑も

まず厳密にいうと、現行制度は保険料と税(国庫負担)とが原資であり、考え方としては社会保険方式というものである。
「ねんきん特別便」などのスッタモンダを経てようやく国民の国家に対する意識が高まったものだが、それを沈静させようという思惑があるのかどうかはわからないが、税方式にという意見がやや上向きにあるようだ。
財政状態が引き金だが、「国民意識」が大きく異なってくることがオマケとして附随する。年金記録問題以前と以後とで理解されると思うが、税方式となるとまた「以前」に後退することになる。これはどうかなと考える。

特に、「未納が解消」できるなんて真面目に主張している方がおられるが、この考え方はおかしい。保険料を払わなくてもよいとなると万々歳には違いないが、あまりにも下心をくすぐりすぎている。現在、免除制度も拡充されており、それをしないのは相当「国民意識」が低いためなのであり、それをそのままにしておこうという思惑がみえてならない。そういう国民がゴロゴロ近辺をうろついているのが現在の日本社会である。それをそのまま追認しようというのである。

税方式か社会保険方式かという議論は、今ひとつ根本的な問題ではなさそうな気がする。まだまだ社会保障に対する意識が足りないため、年金論議をするのには熟していないか。戦争とか革命とか外部的な契機がない時期に、統計(社会科学)による結論は社会に出すと当てが外れ、残るは地道に集めてきた情報が頼りである。ところが、これは政財界や労使団体を説得しうるだけのものとはみなされない。別の角度から検討すると、現代日本社会の決め事方式は「調整型」から脱皮できるのかという問題である。そもそも「調整型」であるから、責任体制が明確にはならない。「皆の創意」が根拠となってしまう。税方式はそれで突っ張っていくわけで、「日本式」にかなうとはいえる。ただ、昭和の戦争遂行体制でさんざん苦労したはずではないかと危惧する次第である。