[13 訴訟期間および時効について]

《証拠が得られ、犯罪が確実になったら、被告がみずからを弁護するように時と方法を与えるべきだ。しかしこの期間は処罰のじん速性をそこなわないよう、なるべくみじかくしなければならない。処罰のじん速性は、すでに言ったように犯罪に対するもっとも強力なクツワである。
あるいは、誤解された人類愛にもとづいて人々は訴訟期間の短縮を批難するかもしれない。だが、もしむじつの者が危険にさらされたとしても、それは訴訟がじん速におこなわれるからではなく、それとは別な法制上の欠陥のためだということ、それどころか、訴訟がはなはだしく手間どるために、むじつの者がこうむる危険は無数に増加するということ、を洞察できる人々は、訴訟期間の短縮に賛成してくれると思う。》

 就業規則違反となる事実関係が明らかになれば、速やかに懲戒に関する調査を行い、本人に弁明の機会を与える。調査は迅速に行い、処分を下す。調査から処分までの迅速性は違反者でない場合のリスクをより回避させるものであり、不安な点があればそれは調査の欠陥や懲戒規定の欠陥なのである、と読みかえられる。

《犯罪の証拠調べにあてられる期間、および被告が防ぎょするために与えられる期間を定める権限は、法律にだけ属する。もしこの権限を裁判官にもたせれば、彼は立法者の職能をおこなうことになってしまう。》

 会社では三権分立ということになっていないので、厳密ではないが、就業規則に合理的な規定をするのがなお客観性の担保になろう。

さて、時効である。懲戒規定に時効を設けている例は知らないが、刑事訴訟法に準じて進めることはまちがいないので、あまりにも過去の違反事実を取り上げた処分は、無効になる可能性は高いだろう。

《人々の記憶に長くのこるような凶悪な犯罪については、ひとたびその犯罪事実が証明されたうえは、逃亡によって処罰をのがれようとする犯人を助ける結果になる時効は一さい認めてはならない。しかし、あまり大したことのない、すぐ忘れられてしまうような犯罪については、おのずから事情がことなる。このばあいには一定の時効期間を定め一人の市民を不確実な運命からすくってやるべきだ。つまり、逃亡犯人はみずから科した追放罪によって十分罰されたのだから、それ以上新しい罪を受けはしまいかと気づかうことなしに、ふたたび世に出られるようにしてやるべきだ。犯罪が長い間うずもれ、世に知られずにいれば、ことさらこれを罰してみせしめをする必要がなくなるから、それよりも犯人に更生の余地を与えたほうがいい。》

 みずから追放罪を科すとはユニークである。懲戒とは関係ないため、端折るが、「犯人がみずから科した追放刑および判決にさきだって被告人が受けた未決勾留期間を宣告罪刑の一部に参入する」という理論も出している。

《犯罪は二種類に区別することができる。第一の種類に属するのは殺人からはじまってそれ以上あらゆる極端な犯罪、第二の種類に属するのは殺人よりも軽い犯罪である。
 この分け方は自然の法則からみちびかれたものである。生命の安全は自然の権利であり、財産の安全は社会的な権利である。》

 ベッカリーアは言う。生命の殺人を遠ざける憐みの感情を押し殺してしまう動機はそう起こるものではないが、所有権を侵害する動機はいくらでもある、と。

《極端な方の犯罪にあっては、それがまれにしか起こらないものであるという道理じたいから、被告がむじつである確率は大きい。したがって時効期間は長くされるべきだし審理の期間は短くされるべきだ。なぜなら、こうして確定判決をはやめることによって、人々が不罰の期待をいだくのをさまたげることができるから。そして犯罪の凶悪性が大きいほど、この期待を人々の心にいだかせておくのは危険だから。》

これはわかりにくい理論である。犯罪の種類と、それに対する時効期間と証拠調べのための期間の関係について論じている。

《第二の軽い犯罪にあっては、反たいに被告がむじつである確率は少いから審理期間は長くし、不罰にともなう危険は小さいから時効期間は短くするべきである。》

次の説明により、意図するものがみえてくる。懲戒処分は一度取り上げられ処分されなかつたものは蒸し返すことを禁じているが、それは時効を設けていないからである。時効規定がある場合は、蒸し返しも合理性を帯びる。

《有罪か無罪かが裁判上確認されなかった被告は、証拠不十分の理由で釈放されるが、もしその時効期間が経過しない前に新しい法定証拠が発見されたばあいは、その同一の犯罪についてふたたび逮捕されふたたび審理に付されうるということに注意していただきたい。》