裁判員制は導入前にもかかわらず、時折カンフル剤的に新聞等で特集されている。
司法・行政・立法という国家機能三種のうちのひとつにおいて、国民が準判事という身分で裁く。とりあえず刑法だけということであるが、職業裁判官だけの世界に民間が入って仕事をするものであるから、大きな出来事である。不安もある、期待もある。
ちなみに、行政については既に民間が入って仕事をしている。残された立法にはまだ民間が入っていない(もしくは入り方が理想的ではない)ようなので一番遅れた領域であろう。裁判員のように抽出された期間議員制など導入すべきである。

「民営化」は独立法人の話ばかりではなく、司法・行政・立法という国家機能三種における人事交流の意味をも持つと解釈してもよかろうと思う。

日本の風土は、基本的に「水戸黄門」文化と言い続けてきた。つまり、お上のワルはこれまたお上のエライさんが退治すると収まるもので、民間は自分のことだけしておればよいという生活文化である。現行憲法の「自力救済の禁止」原則がこれまたそれに箍を嵌めている。それで上手くいけばよいが、水戸黄門はやはり奇特な方で、いつの時代にもいるともいえない。
それに、司法・行政・立法という国家機能三種へ人事交流していくためには、それでは役が合わず、「西部劇」文化が不可欠なものになってくる。無法地帯、ならず者に対抗するための武装やガンマン。まぁ「西部劇」でなく「侍劇」でもよいが、
昭和の後期には「成功した唯一の社会主義国」とまで言われた国である。国家機能三種における人事交流が、善い人事の刷新となるように留意することである。