会社で有望な資格として「社会保険労務士」は依然として人気があるが、なかなかプロになることは難しい資格でもある。そのため、専門学校での社会保険労務士講座はトラブルが多い。

まず範囲が広いということ、おまけに各項目にわたって細かな行政取扱があること、次に実務的な正確さ(そこにも細かな取扱いがある)が問われること、そして常に諸法の改正について研修しておく必要があること。したがって、一コマ〔一科目ではない〕に1人、講師を配置するような必要があるのだが、当然ながら、学校としてはそこまで手配する余裕がないし、社会保険労務士講座だけ特別視もできないと。

私の受験の頃なら、合格が目標で、わからにくい所には時間を割かないで「捨てる」ということでやっていたものが、最近の学生は、全部にわたって正確な知識を要求するというお門違いが当たり前のようになっていて、昔なら「捨てる」所の質問をして、講師を困らせ、答えられなければクレームに発展する。
自分のための勉強だが、自分で調べるという発想もなく、ただわからない所を聞き、答えられなければ失格者の印を押すという本末転倒が起っている。独立資格に挑戦する姿勢ではなく、鵜飼いの鵜のような立場として自己認識しているという最初の構えがまちがっているのである。こうしたものは自然、講師が教えるもとなっているが、本来は開講する学校で教えるべきものである。
そんなわけで、私は講師というものは、「調べ方」であるとか、学生が自分自身で情報を得たり加工したりする自己判断能力を身につけさせるよう努力するだけに集中し、内容そのものは触れる必要のないものと考える。学生自身のそれぞれの科目等についての知識欲などを刺激させれば足りると。

こうなるのはそれぞれの学生が、労働社会諸法令、労務管理、紛争解決に対して、どれくらい自分としての欲を持っているか、の「欲」がないからなのである。自分の欲がないから、講師批判で溜飲を下げる。しかして、自分の力に何もなっていない。講師が語った以上に、自分で調べたか、必要のないところまで手を伸ばしたのか。今の社労士の業務においては、民法のこと、裁判のこと、取締役のことに始まり、相当広くて適確妥当な情報が必要であるが、そうしたことも想像できず、ただ講師が言ったことだけで済ませていないか。
社労士はやればやるほど大変で、なかなか一人前になるには難しい資格なのである。最初からオールラウンドは無理であることは勿論で、マイナーなことを一つ一つ経験していつの間にかオールラウンドになっていたというのが理想。
弁護士からは必ず「社労士さんは勉強熱心ですねぇ」と言われるのであるが、そうならざるを得ない資格だということである。退屈はしないが、しんどい資格の一つであることの事実。何でもそれぞれ特色というものがある。紛争を手がけることとなり、従来からしている手続きも単なる事務的な意味はなくなっており、契約関係の清算の話もよく聞えてきている。したがって、社会に対して社労士の「欲」が出やすくなっている環境にある。だからこそ、社労士を目指そうとする者に、「欲」をもっていないという者がほとんどいないということに、ちょっとどうなのかなと思う次第である。無論、その状態ではまず受かる試験ではないのだけれど。