「解雇ルール見直し」に強まる反発

《「日本は解雇しにくい国といわれるが、それはウソ。大企業では追い出し部屋が広がり、中小企業では無法な解雇がのさばっている。解雇規制の緩和などとんでもない」。ある労働団体の幹部は憤る。》

《安倍政権の有識者会議で進められている労働市場改革の議論。そこで民間議員が提案した解雇ルールの見直し案が波紋を広げている。
 3月15日の産業競争力会議では、民間議員の長谷川閑史・武田薬品工業社長が、解雇を原則自由にするよう労働契約法を改正することや、再就職支援金を支払うことで解雇できるルールづくりなどを提案。あくまで「雇用維持型の解雇ルールから労働移動型ルールへの転換」をうたうが、労働団体は「カネさえ払えば自由に解雇できるようになり、労使の信頼関係が根底から崩れる」(連合幹部)などと反発を強めている。
 長谷川氏の提案の背景には、現行の解雇ルールがあいまいで、かつ経営者にとって厳しすぎる内容だという問題意識がある。新浪剛史・ローソン社長も同会議で「解雇法理は、世界経済に伍していくという観点からはたいへん厳しい。緩和していくべき」と発言。ここで挙げられている「解雇規制の厳しさ」は、日本で労働力の移動が進みにくいことや、若者の雇用低迷の要因として、頻繁に議論の対象になってきた。》

アベノミクスには法律の観点にしぼることなく文化的問題として取上げることを期待する。残念ながら、文化的な面からの意見は誰も持ち合わせていない。思いつきの発想で法律を拵えての放置国家体制は、文化的な観点でどれくらい日本社会を研究し理解されているかでしか変えられないのだが、またしても拵え物をしていびつな放置国家を上塗りしようというのか。
道理に会わない契約解除は損害賠償すれば可能である、とするのが民法ルールであるが、日本社会での労働移動においてはそのようにすると労働者の社会的文化的不利益が大きいことから、労働契約については長年裁判所ルールが優先し、そしてようやく労働契約法という実体法(性質上概念規定にとどまるが)ができた次第である。そして法律概念は一律に適用されていくが、解雇自体は自由であって、労基法は手続について規制しているにすぎない。では労働契約法は紙くずかということになるが、争えば適用されるというものであり、争わなければならないということである。しかし、争うのが大変なのである。労働者にとっての社会的文化的不利益の源泉はここにある。これを語らずして、解雇が難しいだとか簡単だとかいう資格はない。問題の多い会社で仕事をする者ほど大変な苦労を背負い込むこと必定で、それを知らずして哲学的に抽象的な統計的議論程度で楽に簡単に済ましているということが実に無邪気で怖い罪作りなことであることか。