<成果賃金>首相「年収1000万円」将来的引き下げに含み
毎日新聞 6月16日(月)21時38分配信 【影山哲也】

《安倍晋三首相は16日、衆院決算行政監視委員会に出席し、働いた時間に関係なく成果に応じて賃金を払う新たな制度案の対象者について「現時点では1000万円が目安になる」と述べ、年収1000万円以上の従業員とすることを明言した。そのうえで「経済状況が変化する中で、その金額がどうかということはある」と語り、基準となる年収を将来的に引き下げる可能性に含みを残した。》


安倍首相が労働関係について弱いことは確定したといえる。
1、まず、働いた時間に関係して賃金を受取るという形態は時給制などをいうのであって、それは4割近い労働人口に達してはいるものの、6割はまだまだ社内賃金規定に基いて受取っているものである。
したがって、時給制形態について言及し、働いた時間に関係なく、という理屈なら理解できるが、時間と関係のない社内規定に基いた形態について時間と関係なく、というのはおかしいわけである。
無論、時間外手当撤廃を目指していることは周知の事実である。その程度で経済成長しようというのがみみっちいので、どうせなら企業借り入れ利息の撤廃あるいは借り入れ返済義務免除の方がよほど競争力をもたせることができるはずである。

2、次に時間の基準を外して設定される「成果」について。
日本の企業は各企業個別の賃金制度となっている。全国横断的な相場に基いていることはなく、さらに能力主義賃金で露呈しているように、成果についての評価をできるノウハウは誰も持ち合わせていない。
適用対象が年収いくらとかいう議論よりも、「成果」の評価についての議論が不可欠なのだが、そこが首相のウィークポイントなだけあって、触れることはまず避けられる。経営者団体のメンバーが叶わないのが評価能力であって、さらに裁量対象者だけあることから、もとより評価が困難であるということである。
評価の客観性、それに基く報酬の正当性をクリアできるのか否か。厚労省が世界的に競争可能な業務範囲にしぼったのはこうした実務があるからである。
こういう観点は経営者に求めても駄目で、戦後の労務管理論は労働組合が忠心になって日本を牽引したところから、労働側で評価と報酬について構築すべきであるし、労働側でないと無理な話である。残念ながら、日本の経営者もまた首相程度に労務管理が不得手な者が多い。能力のない者からはいくら突いたところで何も出ない。また、素人は恐いのである。