毎日新聞 2008年4月21日 東京朝刊

年金の支払通知書には、介護保険料と新たに後期高齢者保険料の控除がなされ、社会保険事務所に不平を漏らす来所が相次いでいる。この制度は25年前に問題提起されていたものとのこと。昭和の一時期には、老人医療費が無料というときもあったかと記憶しているが、先送り体質(選挙対策など)のツケがとうとう私たちに回ってきたとみるべきだろう。


≪高齢化社会に合わせ、医療費を抑制する行政の萌芽(ほうが)は1983年、社会保険旬報に載った当時の厚生省保険局長・吉村仁の論文「医療費亡国論」に見えるという。いま世間を騒がせている新制度の直接の出発点は98年の医療保険福祉審議会・制度企画部会の意見書であり、これをベースに02年12月、厚生労働省が公表したA、B両論併記の改革試案である。≫

B論が成立した独立型保険制度であり、A論は独立させないで各保険者支援型保険制度である。

≪相対的に高齢者が多い国保と政管健保は助かるが、健保組合と公務員は一方的に失う。割を食う側が猛反発し、日本医師会も「非現実的だ」と批判して葬られた。
 代わって選ばれたB案が、いまボコボコたたかれている新制度だ。75歳以上の国民をひとくくりにして別枠に移し、保険料で1割負担を求める。世代間の連帯を重視する公的保険の精神にもとるが、国民皆保険の骨格は残る。圧力団体の抵抗が少なく、政治的に進めやすいと判断したのだろう≫

ここが肝心で、今「姥捨てだ」とか批難を浴びたとしても修正がなされないのもこのためである。「政治的に進めやすい」かどうかという、旧来の日本の政治手法が守られている。

≪厚労省案を伝える02年12月17日毎日新聞夕刊の見出しは1面左端4段抜き。閣議決定を伝える03年3月28日夕刊は1面下4段。83年の老人保健法施行以来四半世紀ぶりの大改革にしては地味だが、理由は明確だ。イラク戦争である。3月20日の開戦をはさみ、メディアはイラク報道一色だった。≫

ここも肝心。国民生活に大きな影響を与える大改革だが、国民の関心事にならない。他の事件があれば、マスコミも後回し。数年住めばわかるが日本文化は単眼である。したがって、年金記録問題もそうだが、こういう無関心だったことが一度強い関心事として持ち上がると、「もう遅い、後の祭り」ということが多い。年金記録問題は大予算を組んでの取り組みをしなければならないハメとなり、何とか取り戻している状態。

《07年参院選惨敗であわてた与党は08年改革の見直しを決めた。公費1500億円を投じ、最初の1年間、窓口負担や保険料の一部を政府が肩代わりするというのだが、複雑な話がますますややこしくなった。必要な後始末は泥縄式の小細工ではない。改革の基本について国民の理解を深め、必要な修正を加えて納得を引き出すことだ。が、与党は言い訳がましく、厚労省には気迫がない。野党は混乱に乗じ、メディアは混乱の表面しか見ない。攻守とも大局観を取り戻さねば、不安の連鎖を断ち切れない。》

必要十分な国民の関心と議論そしてコンセンサスを欠落させながら法施行するため、「箱を開けてみれば」の連続である。大局があれば上意下達で納得させる努力を続けることも我慢できるが、大局なしの泥縄策ではますます国内のフラストレーションは高まる。平成の「米騒動」も発生するのではないかとキナ臭い感じもする。