「私の知り合いも社労士の資格持ってます」という言葉を今まで何回聞いたであろうか。

資格によるものに限らず、どの仕事も現役でなければお役に立てない。現役の時にはそれほど思ってなかったルーティーンな仕事の内容も、いざ離れてみればそれなり役立っていたものである。社労士の業務は総務課員同様に、毎年随時改正される諸法律に適応していかなければならない。ある分野に数年集中していればもう浦島太郎状態である。ただ、現役の時にはなかなかそのようにみれないものである。


社労士は主として特別法の世界に在る。一般ルールとは異なる固有ルールの中に在る。要するに、覚えないとはじまらない世界である。したがって通常であれば、一般ルールは強くはない。一般ルールはそもそも備えていたか、その後の経験で培うかとなる。

労働判例の勉強や労働相談研究などは昔からよくされていた。しかしながら当然、それらを基にした現実の回答は「絶対」ではない。裁判してはじめて確定する。この裁判は究極の一般ルールである。またこの裁判を受ける権利は国民のものだとされている。無論、裁判所としては訴訟手続きに慣れている者による利用が有難い。裁判=報復手段とイメージする国民性は根強い。おそらく変ることはないだろう。ダイジェスト版のように、回答だけ出してくれるサービスが便利なのだが。

最高裁判例のダイジェスト版を見れば、「極めて妥当」な判断がなされている。これは勝つのが、或いは負けるのが当然だと思ってしまうところ、実際には1審2審の判断が覆されたということがある。新たな証拠、尋問、論の組み立てなどにその謎を疑問を解く鍵があるといえる。裁判例は文字通り「例」である。無論、限りなく「確定」に近い。よって、実務に確信を与えるものとなる。

今日の状況としては、始業時刻前の10分を労働時間として認めろという趣旨で数年もかけて裁判するとは思われない。したがって、労使間において限りなく「確定」に近い解釈で落ち着くのがお互い賢明である。その過程には、証拠、尋問、論の組み立てなどの検討が必要である。当事者のみで不安ならば審判、あっせんによってより確定に近い解決を求める。非正規労働の場合だと、論の組み立て自体正規とは同じものにはできないので、審判やあっせん例の方が、より「確定」に近い解釈、判断が先行していっているとも考えられるが、これらは未公開である。