「かわいがってやれ」金属バットやビール瓶で殴打 時津風部屋傷害致死事件
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/86947/

ご承知の通り、日本中を震撼させている事件である。
私刑つまりリンチについて、それを防ぐ思考は実のところ日本には不足している。
ないことはない。それは法律上懲戒処分についての裁判所の考え方である。
それと、経営上人材育成の考え方である。だが、これらは残念ながらそれほど根付いていない。
したがって、いじめ・セクハラ・嫌がらせは防げてはいない。

当たり前に考えれば、良い力士にするために稽古をする、会社の業績を良くするために人材育成するわけであるが、気付いてみたら(或いはフタをあけてみれば)、その力士生命を破壊し、人材を破壊することが目的になってしまっている。

なぜそうなるかは簡単な話で、日本社会に規範がないためである。近年ますます異常な事件が増加しているようにみえるのもそのせいである。安倍前首相のやろうとしたテーマはおそらくこの規範に関連したことであろう。ただし、それ自体かなり婉曲的な性質のものなので理解が到達しにくく、またそれほど強烈にイメージされたものとは言いがたいため、結局私にはその内容がよくわからなかった。戦前のように、私的ブレーンであるとか研究会を率いる方法を採ればよかったと思われる。
規範の代わりとして、企業では「利益追求」といった方針を立てている。しかし、それはやはり規範にはならない。規範とは、「やり方」「所作ふるまい」の謂いだからである。したがって、現実には会社の信用を損なうかたちで−しかもなおそれは組織において評価されてしまう−進行してしまうわけである。(「かわいがった」弟子は褒められるということ)。
今の所、経営コンサルタントの「真実」としては、トップは「規範」そのものなので、トップが歪むとマズいということになるだろう。
ちなみに、戦中の規範意識の培養として、「美学」「倫理学」「文化」「思想」ブームがあった。なお、特に戦中にこだわるものではないが、近い例として挙げたものであると言い添えておく。